日本メノナイトブレザレン教団

石橋キリスト教会
礼拝メッセージ 2023.8.27 日曜礼拝

「祈りなさい」

(テモテへの手紙 第一 1:18-2:7)

牧師:太田真実子

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    「祈りなさい」

     

    テモテへの手紙 第一 1:18-2:7 太田真実子

     

    1.信仰と健全な良心を保ち、立派に戦い抜くため

    (18-20節)

     手紙の差出人であるパウロは、手紙の冒頭で「信仰による、真のわが子テモテへ(2節)」と記した直後に、教会が健全な信仰を保つことができるよう、テモテがよく指導するように命じています(3−5節)。そして、18節でも再び「私の子テモテよ」と呼びかけ、「私はあなたにこの命令(3-5節)を委ねます」と念を押すようにして伝えています。当時、違った教えによって、エペソの教会の人々の信仰が揺るがされていたからでした。パウロはそのことに強い危機感を覚え、指導者であるテモテが「信仰と健全な良心を保ち、立派に戦い抜く(18節)」ことができるように教えています。

     パウロが「預言にしたがって(18節)」と語っている“預言”の詳細は、聖書の記述からは明確ではありません。しかし、使徒の働き13章1−3節でパウロとバルナバが聖霊によって預言が与えられている記事を見ると、テモテも働きに遣わされる際に、彼らと同じように預言が与えられており、パウロはそれを根拠に、テモテが正しい信仰を貫くことを励ましているのではないかと考えられます。具体的なところは想定の域に過ぎませんが、ただ、テモテが受けた召命には主にあって間違いがなかったことをパウロは強調しているようです。

     

     教会の人々の信仰の危機の中で、健全な良心を捨ててしまった人たちも実際にいました(19節)。パウロは実名を挙げていますが、それは彼らの罪を公開することが目的ではなく、すでに彼らのことで困惑している教会の人々に、適切な説明をするためであることが伝わってきます。ヒメナイは、Ⅱテモテ2章17−18節と同一人物であるならば、「復活(終末)はすでに起こったと言って、ある人たちの信仰をくつがえして」いたようです。アレクサンドロについて、パウロをひどく苦しめたという銅細工人(Ⅱテモテ4章14節)のことである可能性があります。

     パウロは、この2名について「サタンに引き渡しました(20節)」と語っています。これは教会からの除名を意味していると考えられます。しかし、それは彼らを罰するためではなく「神を冒涜してはならないことを学ばせるため(20節)」でした。教会が信仰と健全な良心を保つためには厳格な態度を示すべきこと、しかし教会からの除名は罰するためではなく、真の信仰に立ち返ることを心から願ってなされるべきであることを教えられます。

     

    2.願い、祈り、とりなし、感謝をささげなさい

    (1-4節)

     パウロがテモテにこの手紙を書いた最大の目的は、1章3−5節の命令のためであり、1章18−20節で再び強調されていますが、神に委ねられた信仰の務めを実現させる(1:4)ために、パウロがテモテに何よりもまず勧めているのは「すべての人のために、王たちと高い地位にあるすべての人のために願い、祈り、とりなし、感謝をささげなさい(2:1)」ということです。正しい信仰を人々に口で教えるよりも先に、すべての人のために神に向かって祈ることを勧めています。

     福音に反した教えや不健全な良心は、厳格な態度で教会から排除しなくてはなりません。当時のエペソの教会の状況では、特に偽教師から身を守る必要がありました。しかしパウロは、教会という共同体が排他的になることを願ってはいません。そうではなく、「すべての人」のために祈るよう勧めています。パウロは「王たちと高い地位にあるすべての人のために(1節)」と具体的に挙げていますが、それはクリスチャンたちがこのような人たちのために祈らない傾向にあるからではないでしょうか。

     そして、その祈りは4つの言葉で表現されています。「願い」は必要を訴え、「祈り」は神に近づき、「とりなす」は他の人のために願い、「感謝」は個人にとどまらないあらゆることに対する感謝というニュアンスの違いを受け取ることができます。

     そのような祈りは自分たちが「いつも敬虔で品位を保ち、平安で落ち着いた生活を送るため(2節)」の助けになります。「敬虔」とは、「神を恐れ、敬うこと」です。すべての人のために祈ることは、自分の信仰と心の支えにつながります。また、そればかりか、すべての人のために祈ることは神の望みでもあります(3−4節)。ですから、クリスチャンにとって、すべての人のために祈ることを拒む理由はいっさいありません。私たちは何をするにもまず、すべての人のために祈りをささげましょう。

     

    3.キリストは、すべての人の贖いの代価として

    (5-7節)

     パウロは、偽教師による違った教えが入り込んでいるからこそ、神と人としてのキリストが唯一であり真理であることを主張しています。また、パウロ自身の語る教えや召命が真実であることを明確にすることによって、真理を伝えようとしています。このようなパウロの言葉は、パウロやテモテに対して反対意見を述べる人々が多かったことを暗に示しています。1章18節でも「立派に戦い抜くため」という表現を使っているように、パウロたちはまさに霊的な戦いを経験していました。

     

     私たちも、具体的な状況はパウロたちと違うかもしれませんが、クリスチャンとして生きていく中で必ず霊的な戦いを経験します。そのような時には、パウロが勧めているようにまず何よりも、すべての人のために祈りましょう。神が唯一のお方だからこそ、神への祈りなしには戦い抜くことができません。自分が苦しめられている時には、すべての人のために祈ることが難しいかもしれません。だからこそ、私たちは、キリストはすべての人の贖いの代価としてご自分を与えてくださったのだということを覚え、神が望んでおられることを私たちも受け取っていきましょう。

     

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