日本メノナイトブレザレン教団

石橋キリスト教会
礼拝メッセージ 2023.4.2 日曜礼拝(1/3)

(礼拝メッセージの前まで)

礼拝メッセージ 2023.4.2 日曜礼拝(2/3)

「勝利の入城」

(マタイの福音書 21:1-11)

牧師:太田真実子

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    「勝利の入城」

     

    マタイの福音書 21:1-11 太田真実子

     

    1.「主がお入り用なのです」(1-3節)

     

     この「勝利の入城」の出来事は、四福音書(マタイ・マルコ・ルカ・ヨハネ)に共通して記されています。それだけに、この記事がいかに重要なものであるかを思わされます。

     イエス様がエルサレムに入られたのは、過越の祭りの時期でした。成人男子はこの祭りに参加する定めになっており、また遠方に散らばっていた者もここに集まって来ていたため、エルサレムは群衆でひしめき合っていました。ヨハネの福音書によると、イエス様たちは過越の祭りの「6日前」、つまり金曜日にエルサレムの東にあるベタニヤに到着し(ヨハネ12:1)、そこで安息日を過ごし、安息日が明けた日曜日にエルサレムに入られたようです。

     ベテパゲとは、「いちじくの家」という意味があります。エルサレムの南西にあったと言われていますが、その遺跡は今日も知られていないようです。「ベテパゲまで来たとき」の「まで」が、「の方へ」という意味なら、「向こうの村(2節)」はベテパゲであり、「の中に」という意味であれば、「向こうの村」はベタニヤのことであると考えられます。

     そして、その村でつながれていた子ろばについて、「主がお入り用なのです」と言って、実際の主人の承諾を得たことは、イエス様がその子ろばの実際の主人よりも、真の意味において主人であり、その持ち主であることを示しています。また、マルコやルカの並行記事では、「まだだれも乗ったことのない、ろばの子」と指定されています。旧約聖書を見ると、まだだれも使ったことのない家畜は、主のご用に聖別して用いられたことがわかります(民数記19:2、申命記21:3など)。ろばの主人は、万物の真の所有者の要求に、従順に応じたことがうかがえます。

     

     

    2.預言者を通して語られたことが成就するため

    (4-5節)

     

     そして、「このことが起こったのは、預言者を通して語られたことが成就するためであった(4節)」と言います。5節の引用の最初、「娘シオンに言え」という言葉は、イザヤ書の引用です。「娘シオンに言え。『見よ、あなたの救いが来る。見よ、その救いは主とともにあり、その報酬は主の前にある』と(イザヤ62:11)」。イエス様のエルサレム入城によって、「救いが来た」ことを彷彿させる言葉ではないでしょうか。

     続く引用はゼカリヤ書からの引用です。「娘シオンよ、大いに喜べ。娘エルサレムよ、喜び叫べ。見よ、あなたの王があなたのところに来る。義なる者で、勝利を得、柔和な者で、ろばに乗って。雌ろばの子である、ろばに乗って(ゼカリヤ9:9)」。マタイは、「あなたの王」について、「義なる者」「勝利を得」を省いて、「柔和な方」と記しています。イエス様のこの後の苦しみを知っているからこそ、「柔和」を強調しているのかもしれません。

     ゼカリヤ書によると、ろばの子に乗ってイエス様がエルサレムに入場される姿は、イエス様の「義」と「勝利」をも表しています。それで、今回のこの箇所は「勝利の入城」であると言われています。

     この出来事が象徴するのはゼカリヤ書の「預言書の成就」ですが、ヨハネによると、「これらのことは、初めは弟子たちには分からなかった。しかし、イエスが栄光を受けられた後、これがイエスについて書かれていたことで、それを人々がイエスに行ったのだと、彼らは思い起こした(ヨハネ12:16)」ようです。マタイでは、この時点での弟子たちの理解について言及されていません。しかし、弟子たちは、この後エルサレムで起こる出来事をすべて目の当たりにしてから、この出来事を振り返ったときに、イエス様のエルサレム入城が示している意味をより明確に理解したのでしょう。

     

     

    3.「ホサナ、ダビデの子に」(6−11節)

     

     ろばと子ろばを連れてきた弟子たちは、自分たちの上着を道に掛けました(7節)。そして、その上に座られたイエス様を見た非常に多くの群衆が、自分たちの上着を道に敷いたとあります(8節)。この行動は、王を迎えることを意味するものでした(列王記Ⅱ9:13)。つまり、群衆がイエス様を王と認めたということになります。彼らは叫んで賛美しました。「ホサナ」は本来、「私たちを救ってください」という意味ですが、新約時代には「栄光あれ、祝福あれ」という賛美の叫びとして用いられるようになっていました。

     ユダヤ人たちは、旧約聖書の預言から、かつて主がイスラエルのエジプトの地から贖い出したように、来るべきダビデの子、メシヤが再びイスラエルを救ってくれると信じ、期待していました。それは、具体的にはイスラエルを支配しているローマ帝国からの独立を意味するものであったと言われています。ですから、主がご計画されている「救い」とは異なるものでした。弟子たちさえも、「死んでよみがえる」というイエス様の言葉を理解できていなかったことから、人々と同じような期待をイエス様に抱いていたと言われています。つまり、この時の群衆の叫びを探っていくと、イエス様のみこころとは異な欲求から出る叫びだったと言えるかもしれません。しかし、それでも群衆はこの時、イエス様をメシヤとして認めて、期待を寄せていました。

     もちろん、イエス様のエルサレム入城の出来事は、喜びや期待だけではありません。「この人はだれなのか(10節)」という言葉からも伝わってくるように、事情を知らない人にとっては驚きであり、パリサイ人や律法学者たちにとっては、不安や怒りの感情が引き起こされたことでしょう。そして、数日後には、群衆によって裁判に引き渡され、十字架につけられるのです。この時、イエスを憎んでいた人は「これでイエスに勝利した」と思ったのではないでしょうか。また、「ホサナ」と喜び叫んだ人々の期待も、一瞬にして崩れ去ったと思われたかもしれません。

     しかし、この出来事は、これは真の勝利者の入城であったことが、後になってようやくはっきりと分かります。イエス様は、馬や戦車やではなく、平和のしるしとしてろばの子に乗って入城されました。私たちは、この出来事の意味を、これからイエス様がお受けになる苦しみと合わせて理解したうえで、「ホサナ」と賛美をおささげしてまいりましょう。

礼拝メッセージ 2023.4.2 日曜礼拝(3/3)

(礼拝メッセージのの後、頌栄)

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