日本メノナイトブレザレン教団

石橋キリスト教会
礼拝メッセージ 2024.2.18 日曜礼拝

「互いの愛とすべての人への愛」

(テサロニケ人への手紙 第一 3:6-13)

牧師:船橋 誠

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    「互いの愛とすべての人への愛」

     

    テサロニケ人への手紙第一 3:6-13

     船橋 誠

     

    1,いかにして喜び、感謝して生きるのか

     

    いつも喜び、すべてを感謝する

     おそらくこの手紙で最も知られていることばは、「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことにおいて感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。」(5:16ー18)だと思います。「いつも喜び、絶えず祈り、すべてのことを感謝する。」こんな素晴らしい生き方はありません。しかし、この社会では、どちらかと言えば、「いつも悲しみ、絶えず心配し、すべてのことに不平を言う」ことが普通になっています。パウロが記した「喜び、祈り、感謝する」という生き方は、非現実的で単なる理想のように見えるかもしれません。しかし、一体何をどのように喜んで、祈り続けて、感謝していけば良いのかと誰でも思うことでしょう。それを本日の聖書箇所で、パウロ自身が、何をもって喜び、何について祈り、どのように感謝していたのかを明らかにしています。

     

    テモテからの良い知らせ

     テサロニケの教会について心配していたパウロのもとへ、派遣していたテモテが戻って来て、たいへん嬉しい報告を届けました。それが6節の文章です。「ところが今、テモテがあなたがたのところから私たちのもとに帰って来て、あなたがたの信仰と愛について良い知らせを伝えてくれました」。そして7節で「こういうわけで、兄弟たち。私たちはあらゆる苦悩と苦難のうちにありながら、あなたがたのことでは慰めを受けました」とパウロは言っています。6節「良い知らせを伝えてくれた」は、ギリシア語でエウアンゲリゾマイということば(動詞)で、これは他の多くの箇所で「福音を宣べ伝える」と訳されています。もちろん、ここでは「福音」そのものではなく、「良い知らせ」(グッド・ニュース)のことでしたが、パウロはあえてここでこの表現を使ったのでしょう。パウロにとってそれはまさに「福音」のようだったということです。

     

    だから今、私たちは生きる

     すべての始まりはパウロたちが「神の福音」を携えて、宣教旅行に出かけ、テサロニケの人々に「福音を宣べ伝えた」(エウアンゲリゾマイ)のです。その神からのグッドニュースに応答した当地の人々がそれを信じ、受け入れました。そして今度は、1章などにあるように、その「神の福音」をテサロニケの教会の人たちが他の人々に宣べ伝え、今やその福音によって歩んでいます。その彼らの信仰と愛に生きる姿がパウロのもとへ「良き知らせとして届けられて」(エウアンゲリゾマイ)、それを大いに彼は喜び、神に感謝しているのです。

     現代の私たちはどうでしょうか。「良い知らせ」を聞くことは稀で、むしろ「悪い知らせ」ばかりが耳に入ってきます。パウロは8節で(邦訳では後半)、短く力強いことばを残しています。「今、私たちは生きるからです」。今の時代の私たちは、あまりにも多くの悪い知らせや、心を苦しめるような事柄に囲まれており、息が詰まるような状況に置かれています。「生きている」というよりも、むしろ生きている実感がない、気持ちの上で死んでしまっているような感じを持つ人が多いのではないかと思います。「あらゆる苦悩と苦難のうちにありながら」パウロは、「だから今、私たちは生きている」と言い切れたのです。9節では、喜びに溢れて「どれほどの感謝を神におささげできるでしょうか」と言っています。その根本、秘訣とは「良い知らせ」を聞くことにあるのです。

     

    2,私たちは「良い知らせ」によって生きる

     

    神の福音を聞き、そして聞かせる

     パウロがここで明らかにしていることは教会の務めと言って良いことです。それは第一に「良い知らせ」である「神の福音」を自分にそして他の人々に聞かせることです。私たちの罪の赦しのために十字架にかかられて死んで、よみがえられたお方であるイエスこそが、私たちの主であり、王(キリスト)であるという真理です(使徒2:36、ローマ10:9、Ⅰコリント12:3、15:3−4等)。「私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死なれたことによって、神は私たちに対するご自分の愛を明らかにしておられます」(ローマ5:8)。この「良い知らせ」である「福音」をいつも自分の心の中に留めて歩みましょう。「イエス・キリストのことを心に留めていなさい。私が伝える福音によれば、この方は、ダビデの子孫として生まれ、死者の中からよみがえった方です」(Ⅱテモテ2:8)。そして同時に、他の人たちにこの「良い知らせ」である「福音」を伝えて、私たちの使命を果たしましょう。

     

    神の福音を聞いた人たちと交わる

     第二のことは「神の福音」である「良い知らせ」を受け入れた人たちの信仰を知り、喜ぶことです。自分の信仰のことだけに心が向いていると、喜びや感謝の思いは大きくなりません。先日、タイでの宣教について宣教師が報告くださいました。国や民族は異なっても、その国にいる人たちが福音に触れて救われていく。物心両面の援助を通して生きる希望を持つ。また教会が生まれていく。これがパウロの言う「良い知らせを聞く」ということです。

     あるいは、教会の中でご自分の周りを見渡してみてください。教会の中にいて、交わりを持つことで、その人の信仰のことが少しわかります。交わりを持っていると、ある兄姉が苦しい中でも神に真剣に向き合って、日々歩んでおられることがわかるでしょう。その人の信仰のあり方や姿勢から教えられたり、励まされたりします。この喜びは、顔と顔を合わせて交わったり、その人との絆を結んで持ち続けなくては経験できないことです。いずれにしても、教会は「良い知らせ」が聞けるところ、喜びと感謝を生み出すところなのです。

     

    3,私たちは絶えず祈りをもって生きる

     

     11節から13節を見ると、パウロが何を祈っていたかがわかります。11節には、パウロがテサロニケの人たちのところへ行けるように、道が開かれるように、という祈りがあります。テサロニケを再訪することの祈りでしたが、これは信仰による交わりをパウロが望んでいたことを明らかにしています。私たちも互いの交わりの祝福のために、祈りましょう。

     12節で、パウロは教会の中の互いの愛と、教会の外側にいる人々への愛が、豊かになるようにとの祈りを捧げています。自分にはなぜ愛がないのか、あの人は、そして教会は、なぜ愛の心がないのかと嘆く前に、パウロのように、愛が豊かになるように、あふれるように、神に祈りましょう。この「互いに対する愛」と「すべての人に対する愛」という二つの愛は交わりと宣教であり、車の両輪のようなものです。教会は内向きでも、外向きでもなく、全体に向いていきます。主からの「愛」がその源泉です。新聖歌404番の2節はこう歌います。「愛を増し給え/わが主よわが主よ…心の底より/愛を増し給え/わが主よ」。そしてパウロの三つ目の終わりの祈りは、主の再臨に備えて「今」という時を生きることができるようにということです。絶えず祈りましょう。

     

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