日本メノナイトブレザレン教団

石橋キリスト教会
礼拝メッセージ 2024.2.11 日曜礼拝

「神の同労者」

(テサロニケ人への手紙 第一 2:17-3:5)

牧師:船橋 誠

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    「神の同労者」

     

    テサロニケ人への手紙第一 2:17-3:5

     船橋 誠

     

    1,テサロニケ教会の人々に対するパウロの愛

     

    心が離れていたわけではない

     今日の聖書箇所あたりから、この手紙が書かれるようになった理由や経緯が明らかにされています。これまでも触れましたように、この手紙の背景情報は使徒の働き17章に記されています。パウロとシラス一行が宣教旅行でテサロニケという港町に行き、三週間にわたって会堂で聖書を教え、福音を宣べ伝えて、信じる人々が起こり、教会が生まれました。しかし、それを敵意に燃えて見つめていた迫害者たちが町で暴動を起こし、パウロたちが泊まっていた家のヤソンたちを捕らえて、役人につき出して訴えました。こうした大騒動の中で、パウロたち一行は避難せざるを得なくなり、せっかく誕生しつつあったテサロニケの群れの人たちから離れ離れになって、ベレアにそしてアテネに行ったのでした。

     2章17節以降のパウロのことばは、その時のことを思って記されています。「兄弟たち。私たちは、しばらくの間あなたがたから引き離されていました。といっても、顔を見ないだけで、心が離れていたわけではありません。そのため、あなたがたの顔を見たいと、なおいっそう切望しました」(17節)。この「引き離されて」ということばは、「孤児にする」ということば(動詞)の受け身形です。親子が引き離されてしまい、もうお父さんやお母さんに二度と会えなくなってしまうという、どうしようもないほどの寂しい気持ちを表すことばです。「切望しました」というのも「大いに切望した」と書いて良いほどの強いことばです。恋い焦がれるほどの激しい感情、欲望も示す表現です。意訳すると、まるで恋の歌のようでした。「しばらくの間、あなたがたから引き離されてしまい、孤児のようでした。でもたとえ視界から消えてしまっても、私の心はずっとあなたがたとともにありました。そのため、熱望する気持ちを抱いて、あなたがたの顔をなんとか見れないかと必死にがんばっていました」。

     

    テモテの派遣

     このように、ここから最初に教えられることは、パウロのテサロニケ人の教会の仲間たちに対する深い愛の心です。18節には「私パウロは何度も行こうとしました」と書いています。しかし、妨害があり、それが叶わず、やむを得ず、大切な愛弟子であり、同労者であったテモテを、テサロニケに遣わしたことが3章1節から3節、5節に書いています。異国の地で迫害が日常的であった宣教旅行中、互いを守り、支え合うためにチームで絶えず行動していたパウロたちにとって、テモテを派遣することに踏み切ったことは大きな犠牲でした。パウロはそれほどテサロニケの人たちのことを案じていたということです。こうしたことから、主にある互いの愛、信仰による友情、キリストによって結ばれた絆を大切にすることを、みことばからパウロの姿勢から教えられます。

     

    教会の愛の力

     現代は、コロナのことや時代の流れの影響で、交わりが分断されています。互いに愛し合い、大切にしていくという本来のあり方を保つことが難しい時代です。しかし、それは現代だけの課題ではなく、いつの世にも互いを引き離す隔ての壁はいろいろと存在していたはずです。しかし、イエスを主とした信仰者の集まりである教会は、世の人々には決して超えることのできないようなさまざまな壁を、御霊の自由なお働きの中、神の愛の心によってそれを乗り越え、あるいは打ち破ってきました(エペソ2:14ー16)。そこには、この世が想像もできないような交わりが多く創り出されてきました。パウロのテサロニケの人々に対する深い愛情は、キリストから流れ出るアガペーの愛によるものでした。このパウロの持っていた愛は、現代の私たちにも確かに与えられています。「なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです」(ローマ5:5)とあるとおりです。この愛をもって、主にある交わりを始め、広げ、育てましょう。

     

    2,苦難にあうように定められているという

    パウロの覚悟

     

    サタンとの霊的格闘

     パウロの手紙の執筆順序を前提に言えば、2章18節でパウロは初めて「サタン」ということばを使ったことになります。「私パウロは何度も行こうとしました。しかし、サタンが私たちを妨げたのです」(18節)。さらに、3章5節にはサタンと言わず、「誘惑する者」という表現があります。同じ霊的人格者を指しているのか、別の者を表しているのかはわかりません。サタンはパウロたちの宣教の働きを妨げ、人々の心に植えつけられたみことばの種、信仰の芽を摘んでいってしまうような攻撃をしていました。それは人間の目には、迫害してくる一部のユダヤ人の姿であったでしょう。でも、パウロが見抜いているように、それはサタンが人間たちを利用して働きかけてくるということなのです。私たちの格闘は「血肉に対するものではなく、…もろもろの悪霊に対するものです」(エペソ6:12)。その霊的格闘が、苦難のかたちで信仰者たちを苦しめ、パウロを妨害していたのです。しかし、パウロは言います。そうなることは全部分かっていたし、予測していたのだと。

     

    苦難から栄光へ

     3節で「私たちはこのような苦難にあうように定められているのです」とあり、4節にも「私たちは前もって、苦難にあうようになると言っておいた」とパウロは記しています。このことばは、パウロの宣教旅行を見ていくと、同じような意味のことをいろいろな場面で語っていたことが明らかです。たとえば、第一次宣教旅行の際も、パウロとバルナバは、「私たちは、神の国に入るために、多くの苦しみを経なければならない」(使徒14:22)と語っていました。

     カルヴァンのイザヤ書の註解書にこう書いていました。「彼ら預言者たちは、いかなる困難に直面することになっても、己が走る道から降りることはできなかった。よって、我々も、彼らのようにまっすぐに、自分の務めを果たしていこう。そして、どんなに大きな困難にぶつかっても、心を堅く保って耐えていこうではないか。」(『イザヤ書註解Ⅰ』堀江知己訳 新教出版社)。カルヴァンのことばを読んでいると、信仰の道を進み、教会の働きをする私たちに対して、「困難にぶつかることは当たり前のことではないか。何を落ち込んでいるのか。」と苦難の中を走り尽くしたカルヴァンから叱咤激励を受けているように感じます。

     では、なぜ落ち込む必要がないのかというと、それは神が苦難の向こう側に、栄光、希望、喜びを備えて、我々を待ってくださっているからです。それが2章19節です。「私たちの主イエスが再び来られるとき、御前で私たちの望み、喜び、誇りの冠となるのは、いったいだれでしょうか。あなたがたではありませんか」。この「再び来られる」は、キリストの再臨を示しますが、ギリシア語で「パルーシア」です。これは「臨在」ということであり、王さまが町を訪れることを意味します。私たちの真の王であるお方のご到着を待って、いつでもお迎えできるようにするため、この「今」という時をパウロは、そして信仰者たちは生きてきましたし、私たちも生きていくのです。

     

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