「屈服すべきか、抵抗すべきか」

ダニエル書 1:1-21

礼拝メッセージ 2024.6.9 日曜礼拝 牧師:船橋 誠


1,神はおられる!

ダニエル書の難しさ

 今回からダニエル書を見ていきたいと思います。ダニエル書については、かなり前から礼拝説教で取り上げたいと思っていたのですが、なかなか踏み出せずにいました。すぐにできなかった理由は、この書がいろいろな意味でたいへん難しい聖書箇所だからです。ジョイス・ボールドウィンは注解書の序文で「たとえて言うならば逆巻く波の奥深くに潜るようなもの」(『ティンデル聖書注解ダニエル書』いのちのことば社)と、この書を解説することの困難さを述べています。
 ダニエル書は一般的に黙示文学というジャンルに分類され、内容としては前半6章までは宮廷を舞台にしたストーリーで、7章以降は難解な預言のことばになっています。これまでいろいろな人々がこの書の成立過程や歴史事実について議論をしてきました。保守的な解釈と自由主義的立場では大きな見解の相違が存在します。あるいは預言理解については福音的な神学の中においても種々の解釈に分かれています。三十年程前に書かれた『ワード聖書注解ダニエル書』でゴールディングゲイが主要文献として挙げている注解書の数は、実に百六十以上にものぼります。現在ではさらに多くの解説書が生まれていることでしょう。またこの書は2章4節から7章28節までがアラム語で書かれ、ほかはすべてヘブライ語で記されていて、まとまった一つの作品であるのに二つの言語で構成されているという特殊性もあります。しかし、いかに難解であろうとも、この書から現代の私たちが聞くべき神の御心があります。危機と混迷の中にある「今」という時代だからこそ、この書に向かい合わなくてはならないという思いを私は持っています。この書の時代背景は、旧約聖書の歴史中、「最暗黒期」であったバビロン捕囚の時代でした。

たとえそう見えなくても

 南ユダ王国の首都エルサレムは、新バビロニア帝国の侵略によって包囲され、完全に打ち破られました。ユダの人々は虐殺され、生き残った人々はエルサレムから遠く離れた敵国の首都バビロンへ捕虜として連れて行かれました。かつて「高嶺の麗しさは、全地の喜び」(詩篇48:2)と呼ばれた美しいエルサレムの都は、今や異教徒たちの手によって襲撃されて敗北し、ことごとく破壊されてしまったのです。
 2節にあるとおり、神が栄光に輝いて臨在される「神の家」であるエルサレムの神殿も荒らされ、冒涜され、敵兵の足で踏みにじられたのです。特別な器具や調度品の数々も略奪されていき、「シンアルの地」(ババルの塔を思い起こさせる表現)に運び去られ、バビロンの神々を祀る宝物庫に納められました。さらに3節に書かれているとおり、王族や貴人たち、特に若くて容姿が良くて知性の高い人たちが連れ去られました。
 古代の人々の考えによれば、戦争は各々の国が信じている「神と神との対決」でした。戦争に負けてしまったイスラエルの神は、バビロンの神々に勝らず、無力ゆえに敗北したというふうに見られたと思います。現代的な感覚に置き換えて言えば、敗戦という悲惨な現実を前にして、だから神を信じることなど無意味なのだ、と思ってしまうところでしょう。ですから、これは当時生き残ったユダヤの人々にとって、敗戦による社会と生活基盤の消滅というだけにとどまらず、神の民としての自己理解に壊滅的な打撃を与え、その信仰心が壊れてしまうかもしれないという内的危機でもありました。ダニエル書の物語の舞台は、真の神を信じる礼拝がなされていたエルサレムから遠く800キロも隔たった都市、権力者の栄耀栄華だけが称賛される国の中心バビロンですが、そこにも神はおられたし、神の民も消滅しなかったのです。たとえそう見えなくても、神は生きていて、あらゆることを導いておられたという真実をこの書は大胆に証ししているのです。2節に「主は、ユダの王エホヤキムと、神の宮の器の一部を彼の手に渡された」と記しています。神を信じる民にとってこれは異常事態でしたが、それでもこの事実を聖書は「主は、…渡された」と記しています。人間の目には不可解ではあっても、それもこれも神の御手のうちにあることだったと聖書は記しています。


2, 身を汚すまいと心に定めたダニエル

バビロニア国家の思惑

 ダニエル、ハナンヤ、ミシャエル、アザルヤの四人は、おそらくまだ十代の青年で異国に連れ去られた捕虜にすぎず、国家の命令によって、ただ従って歩むしかできない、人間的に全く無力な立場に置かれていました。彼らはあらゆる権利を剥奪され、異質な環境に放り込まれ、異国の教育と習慣、食事、名前が与えられました。「ダニエルにはベルテシャツァル、ハナンヤにはシャデラク、ミシャエルにはメシェク、アザルヤにはアベデ・ネゴと名をつけた」(7節)。これらの名前の意味は、バビロンの神々への信仰が含意され、イスラエルの信仰から見れば、冒涜的で甚だしい侮辱です。改名行為等が示しているとおり、国家は彼らイスラエルの有望な若者たちを善良なバビロニア人に作り上げようとしていたのです。

譲れることと譲れないこと

 しかし、ダニエルたちはたとえ敗戦国の捕虜としてカルデヤ人のことばや学問を教え込まれている中にあっても、主なる神を信じる心を失わず、信仰を脅かす行為や習慣、それが罪となる事柄については断固拒否する決心をしていたのです。8節「ダニエルは、王が食べるごちそうや王が飲むぶどう酒で身を汚すまいと心に定めた。そして、身を汚さないようにさせてくれ、と宦官の長に願うことにした」。
 ここでダニエルが拒絶しようとした食事のことについては、律法の食物規定の違反なのか、菜食主義に立つことなのか、王の食事にあずかることでその権力の下につくことになると考えたからなのか、諸説あって明確にはわかりません。ただ、現代の日本と違って、古代社会の食事というものは信仰に直接関係する事柄でもありました。当時のダニエルたちにとって、この食事のことは決して妥協ができない、譲ることのできない信仰の事柄であったのです。もちろんダニエルらがバビロンにおけるすべての文化や政治に対して拒否していたわけではなかったと思います。しかし圧倒的異文化の下で信仰者としてアイデンティティーを保持して生きていくときに、日常的に大小の決断が求められたことは確かです。彼らはバビロンにあっても染まらず、埋没して屈服することなく、あくまで信仰による抵抗を試みて、「どうか十日間、しもべたちを試してください」(12節)と彼らの世話役に訴え出ました。
 彼らの信仰による果敢な抵抗は、神に喜ばれて受け入れられました。神の見えない世界で、信仰による信念に生きるには逆風に耐えていかなくてはなりません。1章に二回「神が…与えた」(直訳)という表現が9節と17節にあります。神がたとえ見えなくても、たとえ脅威的で重圧のかかる中であっても、神はあらゆることの中に確かに関与され、また導かれることをダニエル書は今の私たちにも語り続けています。