「良い羊飼い」

ヨハネの福音書 10:1-21

礼拝メッセージ 2026.2.1 日曜礼拝 牧師:南野 浩則


「門」であるイエス

 まず、イエスはご自身を囲いの門に譬えます。これは、囲いの中にいる人々を説明するためです。囲いにいるのは羊たちですが、それは教会の人々を意味しています。この群れは、イエスという門を通してのみこの囲いに入ってきた羊たちです。イエスを信じて教会に加わった人々を指しています。彼らは共に集まり、神を礼拝し、共に食事をし、互いに励まし合い、一緒に宣教の業に努めます。しかし、この門を通らずに囲みを破る者についてイエスは述べます。盗賊と呼ばれていますが、ここではパリサイ派の人々を意味しています。イエスの権威を否定し、教会の人々を散らそうとします。イエスは群れを守るために、群れを導く羊飼いの働きをします。


「羊飼い」であるイエス

 次に、イエスはご自身を羊飼いに譬えます。これは、イエスと教会との関わりを述べています。良い羊飼いは群れを見捨てず、命懸けで羊たちを守ります。これがイエスと教会との関係を作ります。イエスは教会を信頼し、教会はイエスを信じてその導きに従います。この関わりは父なる神のみこころに適うことです。イエスは命を捨て(十字架の死)、命を得ます(復活)。そして助け手が送られて、イエスが天に帰って見えなくなっても、教会は守られていくのです。教会はその危機にあっても、神は守り続けます。


危機を経験する教会

 教会における危機、それはどのような形で起きるでしょうか?新約聖書で意識されているのは、外からの迫害、教会内に起こる誤った教え、教会内の交わりの破綻です。もちろん、現実の教会は他にも様々な形で危機を経験します。ときには、教会自身は何も危機とは感じていなくとも、後にそれが教会の本質にとって最大の危機である場合もあります。教会はこの世界に対して宣教する(福音を言葉として伝え、その福音の内容を実現するために努める)がゆえに、教会は危機を迎えるのです。この世界に新たな問題が起きれば、教会は聖書や神学によってそれに応えようとし、これまで考えてこなかった教えが生み出さざるを得なくなります。その時に、全く間違った教えが生み出されるかも知れないのです。教会は神を信じていない人々にイエスの招きを伝えるがゆえに、この世界の価値観と教会の価値観とが衝突することがあります。教会内の人々の交わりが深くなればなるほど、互いに摩擦を生む可能性は大きくなります。逆に言えば、危機を迎えないためには何も教会はしなければ良いのです。あるいは、教会に何の危機も感じていないとするならば、それは神から期待されている働きを何もしていないか、この世界に妥協している教会です。
 教会における危機は、イエスの宣教命令に深く関わります。だからこそ、イエスは自ら良い羊飼いとして群れを守ると約束するのです。同時にその約束は、教会とイエスとの関わりによります。つまり、イエスが教会を信頼したように、教会もイエスを信頼することです。それは、イエスに従うことを意味します。羊飼いの導きを間違えれば、教会は自壊します。あるいは、羊が自分たちのやりたいようにするために羊飼いを利用しようとするならば、そこでは信頼関係は損なわれ、羊飼いは何もできなくなります。教会は危機を絶えず迎えることにはなりますが、イエスの声を聞き続けたいと思います。そこで私たちのなすべきことを探し求め、神と人とに仕えたいと思います。その中で危機を解決できると信じたいのです。それが、イエス自身の約束だからです。