「神への礼拝の再建」

ヨハネの福音書 2:13-22

礼拝メッセージ 2024.1.21 日曜礼拝 牧師:南野 浩則


宮きよめ

 イエスは神殿にいた商人(牛・羊・鳩などを売っていました)や両替商をその神殿から追い出します。礼拝でささげものをする人々のほとんどは、律法に規定された動物などを飼っていませんでしたから、商人や両替商から必要な貨幣や動物を買い求めなければなりませんでした。問題は、そのようなささげものの売り買いに関して莫大な利権が絡み、神殿を巻き込んで人々がその利権に群がっていたことでした。人々はそれを見てみ見ぬふりをしていましたが、イエスはその公然の秘密に異議を唱えたのです。それが4つの福音書に記されている、いわゆる「宮きよめ」と呼ばれる出来事の意味です。


【コラム】エルサレム神殿について

 エルサレムの最初の神殿はソロモン時代に建立されたものでした。その神殿はバビロンによって破壊されました。イエスの時代の神殿は紀元前515年頃に再建された神殿に起源を持ち、後にヘロデ王が大改修をして荘厳な面持ちになったのです。


3日で神殿を建て直す

 このようなイエスの怒りの行動に対してユダヤ人たちはイエスに「しるし」を求めました。それは、イエスの行動が真に神の権威に基づくかどうかを確認するためであり、多分にイエスへの非難を含んだ言葉でした。
 イエスはこの神殿を壊してみよ、そうすれば3日で建て直すと宣言します。ユダヤ人はこの言葉を文字通りに受けて、イエスの言葉がまやかしであり、ごまかしであると理解したようです。
 しかしヨハネ福音書はイエスの真意を解説し、私たち読者がイエスの言葉を誤解しないように導きます。イエスはご自分の肉体を神殿としたのであり、それはイエスの死と復活を指しているのです。


神殿の堕落

 旧約時代には神殿が求められました。それは時代の要請であり、(一部を除き)概して旧約聖書では前向きに受け止められています。しかし神殿に利権が絡むようになり、神殿維持のために重税が課され、祭司たちは人々の生活の細かい点にまで支配を及ぼすようになりました。聖書の神は人々を抑圧や苦しみから解放する神でしたが、神殿は人々を苦しめるようになっていったのです。神殿は、人が人を支配するための道具に成り下がっていきました。


神礼拝の再建

 イエスを神として信じ、イエスに従うことが真の神礼拝となるとヨハネ福音書は私たちに語ります。イエスはその生涯・死・復活を通してあるべき神礼拝を再建し、神がこの世界を支配して下さっていることを私たちに経験させて下さるからです。イエス自身を神殿とする言葉は、イエスにこそ神の考えが実現していることを意味しています。イエスを通した神の救いの実現を経験したこと(神の支配に入れられたこと)に対して感謝をささげ、同時にイエスの言葉の真意を語り継ぐのが礼拝です。この感謝と告知は個人でもできます。しかし、個人の礼拝が感謝に満たされているから十分とは言えなません。私たちは教会に集まり礼拝をささげ、イエスが多くの人々とともに神の業をしたように、私たちもともに神の業に励みたいと思います。それが神の方法だからです。人を救い、苦しみから解放する礼拝を作り上げること、そのような礼拝をキリスト者が集まって行うこと、それがイエスの目指した礼拝の再建です。礼拝の形式は様々で良いのですが、イエスを中心とする礼拝の本質は失われてはなりません。