「神の約束を信じて」

創世記 12:1-9

礼拝メッセージ 2018.9.9 日曜礼拝 牧師:船橋 誠


1,神の約束の内容一それは祝福です

神の約束は、アブラムを祝福されることでした

 神からアブラムに約束されたことは、7つありました。第ーは「あなたを大いなる国民とする」、第二は 「あなたを祝福する」、第三は「あなたの名を大いなるものとする」、第四は「あなたは祝福となりなさい」、第五は「あなたを祝福する者を祝福する」、 第六は「あなたを呪う者をのろう」、第七は「地のすべての部族はあなたによって祝福される」、です。以上を見て、ひと目でわかることは、神の約束は、「祝福」であるということです。繰り返し、神は、アブラムに、「わたしはあなたを祝福しよう」と約束されたのです。聖書が語る祝福とは、とても大きな内容を含ん でいて、一言で説明ができません。でも、祝福の基本的な意味は、 神が人間に対して与えてくださる恵み、幸いです。そこには、繁栄や成功といったことも含まれています。
 祝福と訳されているヘブライ語辞書では、神が人に対して、成功、繁栄、多産のために授けられる力であると定義されていました(W.L.Holladay)。 聖書の他の箇所には、人から人への祝福も あります(例えば、イサクからヤコブヘ)。そして逆パターンで、人から神への祝福もあります。 これは、神への賛美となります。しかし、基本は、天地の創造主である神が、人間や被造物に対し て、与えられたものが祝福です。先回お話した「召命」も、この祝福も、神から発せられるのです。神は、アブラムに対して、ご自身の好意を示し、愛をもって、祝福することを約束されたので す。それは、神からのものでした。この上から下への流れは、聖書に示されている信仰の特徴です。
 アブラムに約束された神の祝福は、彼個人にとどまるものでは ありませんでした。「地のすべての部族は、あなたによって祝福 される」(3節)とあるように、それは、私たちすべてにおよぶものでした。新約聖書のことばを引用します。ガラテヤ3章8節「聖書は、神が異邦人を信仰によって義とお認めになることを前から 知っていたので、アブラハムに対して、『すべての異邦人が、あなたによって祝福される』と、前もって福音を告げました」。
 これらのことばが明らかにしていますように、たった一人の人間に呼びかけられ、語られたかに見えるこの祝福の約束は、この後、イスラエル民族という国民を生み出すことになり、さらに、 2000年後には、このアブラハムの遥か先の子孫として、神の御子イエス・キリストがお生まれになって、全世界、全人類の祝福のため、十字架にかかられ、復活して、私たちに救いの恵みを与えてくださることになったのです(参照;マタイ1:1~16)。

神の約束は、アブラムが祝福そのものになることでした

 アブラムヘの神の約束に戻って見てみると、神はアブラムを祝 福すると約束されただけではなく、アブラム自身が祝福となる、 祝福そのものとなると契約のことばを語られたのです。「あなた は祝福となりなさい」(2節)。 祝福を受けた人は、祝福を他の人々へ分かち合うようになるということです。ですから、私たちが神 からの祝福を求めるのは、私たち自身が幸せになることをゴールとするのではなく、祝福を他の人へと広げていくためです。


2,神の約束への応答―信仰の旅

アブラムは、主を信じて歩み続けました

 神の祝福の約束を受けたアブラムが、それに対してどのように応答したのかは、4節以降に記されています。アブラムが行った 神への応答は、おもに2つのことが記されています。それは信仰の旅路をスタートさせたこと、そして祭壇を築いて神を礼拝した ことです。そしてその2つが、祝福の約束を受けた人の正しい対応であることが明らかにされています。
 まず、一つ目ですが、アブラムは主のご命令にしたがって、「出 かけた」ことです。「Go!」(行け!)と言われて、すぐに彼は行きました。4~9節をよく見ていただくとわかりますが、主語をアブラムとする文章の動詞のほとんどは、彼が「出て行った」ということです。「出て行った」(4節)、「出発した」(5節)、「通って•••行った」(6節)、「移動して、…天幕を張った」(8節)、「進んで、…旅を続けた」(9節)。ヘブル人への手紙11章8節に「信 仰によって、アブラハムは相続財産として受け取るべき地に出て 行くようにと召しを受けたときに、それに従い、どこに行くのか を知らずに出て行きました。」アブラムという人の生涯を見ると き、彼の歩みの特色は、彼の人生が旅とともにあったということ です。そして、私たちもこの地上の人生が、物理的な移動があっ てもなくても、ある意味では旅路であるとの認識を持っているの ではないでしょうか。使徒ペテロははっきりとこう書いています。「あなたがたは旅人、寄留者なのですから、たましいに戦いを挑 む肉の欲を避けなさい。」(Ⅰペテロ2:11)。

 この旅路は、「信仰の旅路」であることを忘れないようにした いと思います。神に信頼して従うことが、この旅路をしつかりと 歩めるかどうかの鍵です。旅をするときは、予め調べ、計画を立 て、経路を辿って行きますが、時々計画通りに進まなかったり、 思いもよらないことが起こることもあります。楽しい時も、辛い時も当然あります。でも、あなたを祝福される神が、ともに歩んでくださいます。主とともに歩める幸いな旅を、アブラムのよう に主への信頼をもって、私たちも進んで行きましょう。

アブラムは、主のために祭壇を築きました

 「歩く」とか「行った」以外でここに記されているアブラムの 行動は、「祭壇を築いた」(7、8節)ことです。そして、「主の御名を呼び求めた」(8節)ことです。カナンの地に入って、主の現れと約束のことばを受けて、アブラムは神である主を礼拝しまし た。祭壇を築いたこのシェケムの「モレの樫の木のところ」とい うのは、カナン人が異教の聖所としていた場所で、その大木のと ころで神々の託宜があったり、占いがなされていたと考えられて います。そんな異教の聖所の場所で、アブラムは主のために祭壇 を築いたのです。また、ベテルの東に移動しても、祭壇を築いた と記されています。自分がどこにあっても、そこに祭壇を築いて、 主を礼拝して生きること、それが祝福の約束を信じて歩む人の生き方です。そして、主の御名を呼び求めるのです。主の御名を呼 び求めるというのは、脚注にあるように、主の御名で祈ると訳す ことも可能です。アブラムが人生の旅路の至るところで、主に祈り、礼拝したという記録は、彼が後に信仰の父と呼ばれるようになったのかを予示しています。