「神の深いあわれみによって」

ルカの福音書 1:57ー80

礼拝メッセージ 2025.12.7 日曜礼拝 牧師:太田真実子


 この箇所は、バプテスマのヨハネが誕生し、父ザカリヤが再び口がきけるようになり、聖霊に満たされて預言する場面です。神の救いの計画がついに動き出す、重要な「始まり」の章です。


1,ヨハネの誕生とその喜び、命名(57ー66節)

ヨハネの誕生と人々の喜び

 57-58節:長い不妊や奇跡的な懐妊の背景があるため、周囲の人々の喜びは大きいものでした。旧約聖書に登場するサムエル、イサク、ヤコブの子らの誕生物語と同じように、神さまの直接的な関与が示唆されています。
ルカの福音書は、周囲の人々の喜びを単なる家庭の喜びではなく、神の計画が進んでいることへの共同体の反応として描いています。

その子の名はヨハネ

 59節:ユダヤの伝統では男の子は生後8日目に割礼を受け、その日が公的な名前の決定の日でもあります(モーセ律法・アブラハムの契約の継承)。割礼はイスラエルの神との契約(創世記17章)の継続を表す重要な儀式です。
 60節:当時の慣習では、新生児に祖父母や父の名前を付けるのが一般的でした(これは家系の継承と連続性を表す)。そのため、人々は自然に父ザカリヤの名前を提案します。
 61節:しかしエリサベツは、天使から告げられた名前(ルカ1:13の指示)に従い、はっきりと「ヨハネ」と言い張ります。ここに「神の言葉に従う」という信仰的姿勢が表れています。
「ヨハネ」(ヘブライ語: יוחנן, Yôḥānān)という名前は、「主(ヤハウェ)は恵みを施された」「主は恵み深い」という意味。名前自体が子の使命と神の性質を表しています。

 62節:人々は、父ザカリヤが数か月前に天使ガブリエルからお告げを受け、さらに口が利けなくなっている(1:20)ことを知っているため、最終的決定を彼に委ねます。名は家の長(父)によって承認されるべきだ、という社会的期待です。
 63-64節:ザカリヤは筆記板(“書き板”)を求め、「その名はヨハネ」と書きます。これは非常に重要な場面です。筆記による承認は公的で確かな記録となる。また、書いた直後に口が開き、舌が解けた(話せるようになった)という出来事は「神が語ったことが真実である」ことの確かなしるしでもあります。神の約束(ガブリエルの告知)が実現したことを示す奇跡的証拠です。そして、ザカリヤはすぐに神をほめたたえました。ここに彼の信仰の変化が表れています。
 65-66節:ザカリヤに起きた奇跡は、神の力が働いている証拠として地域中の話題になりました。ヨハネにはすでに “主の御手”(神の導きと選び)が臨んでいたことがわかります。そして、人々は畏れをもって出来事を受け止め、ヨハネの将来を深く考えたようです。


2, ザカリヤの賛歌(67節以降)

 67節以降は、ザカリヤ自身の願望ではなく、神の計画の宣言という位置付けで、聖霊の導きのもとに語られた預言が記されています。

救い主イエスに関する預言(68-75節)

 68節:「贖い」(買い戻し)は、罪と死と悪の支配からの解放。イエスの誕生によってすでに「救いの時代が開始した」と宣言しています。
 69節:「救いの角」とは、“力強い救い主”の象徴。ダビデ家から起こる約束のメシア(2サム7章)が実現したという意味です。
 70節:旧約の預言全体がイエスを指していたことを宣言しています。
 71節:当時ユダヤ人はローマの支配下にありました。しかしここでの「敵」は政治的敵よりも、罪と悪の勢力=霊的敵 を指すと理解されます。
 72-73節:神は「契約に忠実な方」。メシアの誕生は神の変わらぬ愛の証拠です。
 74-75節:救いの目的が示されます。それは、恐れからの解放と、聖さの中で神に仕える新しい人生です。

自分の子ヨハネの使命について(76-79節)

 76節:ヨハネへの“父からの預言”。ヨハネはメシアその人ではないが、メシアの道備えをする預言者だと言います。
 77節:ヨハネの中心メッセージは「悔い改め」と「バプテスマ」。これは罪の赦しを受ける準備としての働きでした。
 78節:「日の出」(昇る太陽)はメシアの象徴(マラキ4:2)。暗闇(罪・死)の世界に、光が差し込むイメージ。神の救いは「深いあわれみ」から来るのです。
 79節:イエスの救いの結果、暗闇から光へ・死の陰からいのちへ・不安の道から平和へ。
 ザカリヤの賛歌は、神の救いが「約束の成就」として現れたこと・イエスが真の救い主であること・ヨハネはその道を備える預言者であること・救いは光と平和をもたらすことを、高らかに歌い上げています。

 クリスマスを迎える12月。バプテスマのヨハネの誕生によって、ついに神のご計画が動き始めたこと、そしてそれが私たちすべての人への神の深いあわれみによるものであることを覚えたいと思います。