「神からのビジョンと祈り②」

ローマ人への手紙 15:22ー33

礼拝メッセージ 2018.6.3 日曜礼拝 牧師:船橋 誠


1,パウロのローマ訪問計画(22〜24節)交わりと導き

妨げられていたローマ訪問

 この書を執筆していたパウロは、ギリシアの町コリントに滞在していました。海を隔てた向こうにある、ローマの教会を訪問することを切望していたのです。この書の初めには「祈るときはいつも、神のみこころによって、今度こそついに道が開かれ、何とかしてあなたがたのところへ行けるようにと願っています」(1:10)と記していました。しかしこの箇所にも書かれているように、彼はなかなかローマへ行くことができませんでした。「私は、あなたがたのところへ行くのを何度も妨げられてきました。」(22節)。何によって妨げられてきたのかには、いろいろな理由がおそらくあったことでしょう。現代のように気軽に旅行できる時代ではありません。使徒の働きを読むと、彼らが地中海世界をこともなげに旅行しているように見えますが、移動手段の不便さ、そのためにかかる時間や費用の大きさ、また危険性の点からも、たいへんな犠牲やリスクを伴うものであったことでしょう。加えて、パウロには宣教地での働きと多くの教会に対する祈りと指導の責任があり、多忙を極めていました。「ほかにもいろいろなことがありますが、さらに、日々私に重荷となっている、すべての教会への心づかいがあります」(Ⅱコリント11:28)。

満たされる交わりの恵み

 パウロのローマ訪問計画から、2つのことを学ぶことができます。第一に、交わりの重要性です。ローマの教会のことは多くの友人たちから、すでに情報を持っていたパウロでしたが、彼らのことを日々思い、祈る中で、早く彼らと会って、交わりを持ちたい、そして彼らの信仰を励ましたいし、自分も交わりの恵みを受けたいと考えていました。24節を見ると「旅の途中であなたがたを訪問し、しばらくの間あなたがたとともにいて、まず心満たされてから、あなたがたに送られてイスパニアに行きたいと願っています」と書いています。「心満たされてから」の言葉は原語で5回出て来ますが、ほとんどは空腹を満たすという時に使われています。ここでパウロは彼らとの交わりによって、お腹がいっぱいになるような満足感や喜びを期待していたことがわかります。信仰生活は、神様と自分との関係だけに注目しがちですが、パウロは主にある交わりの素晴らしさと祝福をよく知っていました。交わりが私たちの弱っている信仰を励まし、交わりが私たちの奉仕を支え、交わりが私たちを幸せにするのです。

神の導き

 第二に、神の導きやご摂理ということです。私たちは、このあと、パウロのローマ行きの願いがどうなったのかを知っています。この祈りは退けられず、後に道が開かれました。パウロはローマに行き、彼らと交わりを持つことができたでしょう。しかし、それは、自由の身ではなく、容疑者として捕らえられ、ローマ市民権を行使して、上訴することによって、導かれた道でした。旅の途中、危険な嵐に遭遇し、船は座礁しますが、彼は主からの語りかけを聞いていました。「恐れることはありません。パウロよ。あなたは必ずカエサルの前に立ちます」(使徒27:24)。神は、私たちの持っている計画、願いや祈りを、お聞きになっています。しかし、それはすぐに開かれないこともあり、また考えもしなかった方法で、それをかなえてくださることもあります。しかし、「神のみこころにより」(32節)、それがなされるように、祈る中、神は最善をなしてくださいます。「神を愛する人たち、すなわち、神のご計画に従って召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています」(8:28、参照;箴言16:1)。


2,パウロのエルサレム訪問計画(25〜27節)聖徒への奉仕

貧しい聖徒に仕える奉仕

 パウロが語っている計画は、ローマあるいはイスパニアへの旅行計画だけではありませんでした。この2つの場所は喜びと期待をもって訪ねることができるところです。でも、どうしても、もう1つの場所に、彼は赴かなくてはなりませんでした。それはエルサレムです。なぜなら、エルサレムの教会の人たちの経済的な困窮を聞いていたからです。「しかし今は、聖徒たちに奉仕するために、私はエルサレムに行きます」(25節)。マケドニアとアカイアの教会の人たちが、エルサレムの貧しい人たちのために喜んで援助をすることに賛成し、パウロに献金を委ねたのではないかと思います。27節にあるように、これは異邦人がユダヤ人に対して行う愛の奉仕でした。霊的なものを受けた彼らが、今度は物質的なものでお返しするという、教会が普遍的な神の共同体であり、両者がともに愛し合い、主にある交わりと相互の一致を表すことのできる大きなチャンスでした。

奉仕の優先順位

 ところが、送り届けるパウロにとっては、それは大変なことでした。31節の祈りの内容、「私がユダヤにいる不信仰な人々から救い出され、エルサレムに対する私の奉仕が聖徒たちに受け入れられるように」ということから明らかなように、このエルサレム訪問は、死と隣り合わせのような危険をはらんでいました。エルサレムでは、迫害者が大勢おり、彼の命を狙う者がいたのです。また、異邦人伝道の旗手として活躍していたパウロは、律法理解の違いから、エルサレムの教会において、必ずしも良く思われていなかったのかもしれません。人間的に見れば、気の進まない訪問であり、奉仕でした。でも、どうしても必要な奉仕でした。主に仕え、人々に仕えることは、喜びですが、時に、難しい課題に直面したり、気の重くなるような中で、果たさなくてはならないこともあります。パウロは、自分の気分で、奉仕の優先順位を決めていませんでした。まず、エルサレム、そしてローマを通って、イスパニアという順序で計画を立てていました。


3,パウロのイスパニア訪問計画(28〜29節)ビジョン

 第三のパウロの訪問計画は、遠く、イスパニア地方への宣教でした。イスパニアは、今日で言う、スペインです。パウロの持つ雄大な計画を思うとき、彼はまさにビジョンの人であったことを思います。私たちも、今のことだけに目を注ぐのではなく、さらに先をいつも見ておく必要があります。エルサレムの必要も大切で、ローマでの交わりも大事です。でもそれで終わらず、その先に何を見ているか、そこが宣教者として重要なところであると教えられます。なぜなら、神は、世界宣教の主だからです。