創世記 12:1-9
礼拝メッセージ 2018.9.2 日曜礼拝 牧師:船橋 誠
1,神からのコーリング(召命)一対象「なぜ、私が?」
新会堂に移って、創世記12章から25章ぐらいを中心に、旧約聖書の中心人物のひとり、アブラハムを取り上げたいと思います。アブラム、のちのアブラハムは、信仰の父と呼ばれ、イスラエル民族や王国の始祖となった人です。彼の人生は、信仰の冒険と言つて良い歩みでした。私たちも新しいこの地で、主を求め、 主に仕えていくにあたり、彼の生涯から、信仰とは何か、信じて歩むとはどういうことなのかをともに考えていきたいと思います。
「主はアブラムに言われた。『あなたは、あなたの土地、あなたの親族、あなたの父の家を離れて、わたしが示す地へ行きなさい。』」(1節)。主である神が、なぜアブラムを選んだのかを、創世記はどこにも記していません。遡って考えると、ハムやヤペテではなく、どうしてセムなのか? セムの子孫の中でも、なぜアルパクシャデなのか? テラの子どもの中で、ナホルやハランではなく、どうしてアブラムを選ぶのか?アブラム自身も、なぜ自分のことを、神はお呼びになったのか、分からなかったと思います。ここにいる私たちも、なぜ、この1億人以上いる国で、神は私を選び、お救いになったのか?なぜ、私をクリスチャンホームに生まれさせたのか、なぜ、教会に来ているのか、考えてみると 不思議ではないでしょうか。
でも、一つ明らかなことは、アブラムが特別に優れているから、能力が高いから選ばれたのではないことは確かです。これは、試験や競争の末、勝ち取るようなものではなかったのです。選びとか、召命というものは、常にそうなのです。ヨシュア記24章2~3節によれば、おそらくアブラムも、ほかの神々を礼拝する、キリスト教的に言うならば、異教文化の中に生きていた人だったと思われます。ところが、特別に優れているのでもない、ただの 人、アブラムに対して、神である主は、御声をかけて呼び出し、彼を連れ出されたのです。
2,神からのコーリング(召命)一時機「なぜ、今?」
神がアブラムに御声をかけられた時、アブラムとその家族は、いかなる状況だったのでしょうか。11章の終わりは、系図で名前が並んでいるだけで、アブラムについて、どんな人物で、どんな生活を送っていたのか、何も前置きはありません。それだけに、この12章の最初で、主からの呼びかけは、非常に唐突であり、突然の出来事との印象を与えます。
神からの召命は、突然、ある人の上に、グループの上に臨むことがあります。もちろん、神が、そのタイミングを見計らって、その「時」を備えておられたとも言えるでしょう。神のなさることはすべて時にかなって美しいのですから。ただ、それを受け取る人からすれば、それが最善のタイミングや状況とは思えないことがしばしばです。当然のことながら、そこに戸惑いや、疑い、恐れ、不安が私たちの胸中に渦巻くことになります。
このあと、聖書の記述を読んでいくと、わかることは、アブラムとその一族、彼らの置かれている状況は、希望の見えない暗闇でした。また、これから先に見ていきますが、跡取、後継者の問題で苦しんでいたのです。子孫が与えられないという、一族の存亡に関わる危機を抱えていました。希望の見えない混沌とした状況の中、突然のようにして、主が語られました。
3,神からのコーリング(召命)一導き「どこへ行くのか?」
「わたしが示す地へ行きなさい」という命令ですが、この「行 きなさい」という導きの不思議さは、どこへ行くのか、明確にさ れていないということです。主よ、どこへ行けば良いのでしょうか、という質問に、主は、「わたしが示す地」に行くように言われたのです。アブラムは、肥沃な三日月地帯と呼ばれる、ユーフラテス川流域を旅し、カナンの地にまで移動するのですが、この 召命の言葉には、そうしたこれからのガイドマップは示されなか ったのです。
ところが、この中で明確に語られていることがあります。それはアブラムが離れていかなくてはならない場所、あとにする場所 については、念入りに語られているのです。新改訳聖書の新しい訳では、それがより明確になりました。「あなたの土地、あなたの親族、あなたの父の家を離れて」と三段階で記されています。「あなたの土地」とは、おそらく国とか広い範囲を示します。「あ なたの親族」は、親族が住んでいる地域の範囲です(昔の感覚でいう地域です)。そして最後が「あなたの父の家」です。これは自分の家族のいる場所でしょう。
段々と狭い範囲に絞られていくように、フォーカスされていくような表現になっています。自分の住み慣れた場所を離れるというのは、多くの人にとって、とてもつらいことです。アブラムも、そこに居れば、何も不自由がなく、安住できていた場所だったで しょう。しかし、「神が示す地」は別の場所なのです。居心地の良い所から、離れなくてはなりません。重い腰を上げて、主が与えると言われている未知の世界に旅立つ必要があります。聖書のことばが明らかにしていることは、「行く」ということは、「離れ る」ことでもあるということです。そこから出かけて行く以上、 以前のものから離れなくてはならないのです。
「父の家」とか「故郷」というような、 人間の血縁を離れて、神に結ばれ、神のことばだけを頼って生きていく人生、それがアブラムに命じられた新しい歩みでした。そして、このアブラムの 話を、大きな枠組み、ビッグ・ストーリーの中で見ていくと、こ の呼びかけは、神のことばによって結ばれた新しいつながり、 み ことばという絆によってのみ成り立つ家族、信仰の共同体の始ま りでした。そのようにして呼び出され、それに信仰をもって応じる人に、あるいはそのような共同体に、神は誰も想像できないような、大いなる祝福を用意されているのです。