「満ちあふれる主の恵み」

テモテへの手紙 第一 1:12-17

礼拝メッセージ 2023.7.30 日曜礼拝 牧師:太田真実子


1.えらんでくださったキリストへの感謝(12-13節)

 「テモテへの手紙」は、パウロというクリスチャンが、わが子のように大切に思っていたテモテに送った手紙です。パウロは、イエスさまのことを人々に伝える仕事を神さまから任されていました。テモテも同じです。それで、テモテの働きを励ますために、パウロは手紙を書いています。

 12節でパウロは、イエスさまへの感謝を語っています。それは、イエスさまのことを人々に伝える大切な働きに、自分が任命されているからです。大切な働きのためには、それにふさわしい人が選ばれなくてはなりません。それで、パウロは「キリストは私を忠実な者と認めて、この務めに任命してくださった(12節)」と喜んでいるのです。自分が心から尊敬し、慕っているお方から認められて、選ばれるとは、どれほど嬉しいことでしょう。パウロにとって、イエスさまのことを人々に伝える働きは、大きな喜びでした。
 しかし、はたしてパウロは、イエスさまに認められて選ばれるほど「忠実な者」だったのでしょうか。たしかに、新約聖書を見るとパウロがとても一生懸命に、忠実に働いていることが伝わってきます。ところが、初めからそうだったわけではないようです。パウロ自身も、「私は以前には、神を冒涜する者、迫害する者、暴力をふるう者でした(13節)」と言っています。このような人に、大切な働きを任せることができるでしょうか。
 おどろくべきことに、イエスさまは、そのような間違いだらけのパウロを大切な働きに任命なさいました。イエスさまはパウロのことを愛しておられたので、かわいそうに思って、パウロの目を開いてくださいました。そして、まだまだ未熟なパウロでしたが、イエスさまのことを人々に伝える大切な働きをまかされたのです。パウロはそのことを自覚していたからこそ、よりいっそうイエスさまに感謝していました。


2.罪人をすくってくださるキリストの恵み(14-15節)

 パウロは、「私たちの主の恵みは、キリスト・イエスにある信仰と愛とともに満ちあふれました(14節)」と喜びを語っています。「恵み」とは、神様からの一方的な優しさであり、無条件の愛です。何かすばらしいことをしたからといって与えられるようなものではありません。
 パウロは自分のことを「罪人のかしら(15節)」だと言っています。罪人の中でも、最も罪ある存在だということです。イエスさまはそのようなパウロを受け止め、罪をゆるされました。そればかりか、大切な働きにまで任命なさいました。自分のことを「罪人のかしら」だと思っているパウロにとって、これはイエスさまからの一方的な「恵み」でしかありません。イエスさまの優しさによって、パウロは愛と信仰をいただいたのです。
 それで、イエスさまのこのうえない恵みを「私たちの主の恵みは、キリスト・イエスにある信仰と愛とともに満ちあふれました(14節)」と心から喜んでいます。

 「キリスト・イエスは罪人を救うために世に来られた(15節)」と、教会では聞き慣れてしまうほど、繰り返し語られます。しかし、パウロが語っているよう「このことばは真実であり、そのまま受け入れるに値するもの(15節)」であるということを、私たちは覚えていましょう。
 それは、「自分は罪人のかしらだ」と罪悪感であふれてしまうときほど、このことを信じられなくなってしまうときがあるからです。「イエスさまは罪人を救うために世に来られた」ことを文字通りに信じましょう。


3.キリストを信じて永遠のいのちを得るため(16-17節)

 パウロは、今の自分があるのは、「イエスさまの恵み」のおかげだということをよく知っている人でした。そして、その恵みは自分だけにとどめておくべきではないということも知っていました。
 ほかの人々もイエスさまの恵みを知って、信じ、永遠のいのちをいただけるようになるために、自分が選ばれたのだということまでわかっていました。
 私たちも、イエスさまの恵みを受け取っているでしょうか。私たちは決して完璧ではなく、むしろ、どうしようもない罪人だからこそ、イエスさまは救いの恵みを用意してくださいました。その救いを信じましょう。そして、自分はイエスさまからどんな働きを任されているのか。愛するお方に任命されていることの喜びをかみしめつつ、自分がイエスさまのためにできることを考えていきましょう。