「新しく生まれる人々」

ヨハネの福音書 3:1-12

礼拝メッセージ 2024.3.24 日曜礼拝 牧師:南野 浩則


ニコデモの訪問

 パイサイ派のニコデモという人物がイエスを夜中に訪問します。そこでイエスとニコデモは対話をはじめますが、内容は禅問答のように進んでいくことになります。
ニコデモはイエスを高く評価していました。それは、イエスの働きに「しるし」を認めていたからです。「しるし」とは奇跡であり、それを行う人々には神の特別な選びがあると考えられていたからです。しかしイエスは「神の国(神の支配)」という言葉を用いて、そこに入る方法について述べます。


【コラム】パリサイ派

 ユダヤ教の一派で、旧約聖書の律法やその伝統を重視した人々です。政治から距離を置き、律法によって生活を律しようとしました。律法主義者(律法の内容を吟味せずに、神から定められたという事実によってのみ律法を遵守しようとする姿勢)として福音書では描かれますが、歴史的にはイエスの考えに近いパリサイ派も多数いたようです。


新しく生まれ変わる

 「神の国(神の支配)」に入るためには、水と霊とによって人間は生まれ変わらなければならないとイエスは語ります。しかし、ニコデモにはその内容がよく分からなかったようです。そして話題は霊に集中していきます。人間は肉として生まれ死ぬべき存在です。だから「神の国(神の支配)」には霊として生まれ変わらねばなりません。ニコデモは「しるし」から神との関係を考えましたが、イエスは「霊」から考えました。でも「霊」として生まれ変わるとは、そんなことがありうるのでしょうか?どのようにすれば可能なのでしょうか?


地上の証言

 イエスは意外にも、霊的な生まれ変わりはこの地上の証言によると言っています。霊と地上とは全く反対の事柄であると当時の人々は考えたでしょう。しかし、イエスはこの地上の証言であり、それはイエスの生涯(生・死・復活)を意味しています。霊の経験は、この地上でのイエスの出来事にその意味を求めることができるのです。


霊によって生まれ変わる

 私たちは霊という言葉を聞いたときに、何か不思議な世界の出来事や経験であると想像します。キリスト教の歴史の中でも神秘主義と言って、何か不思議な経験を通じて信仰者として新しく生まれ変わり、ランクアップするような考えが常に存在しましたし、現在でも存在します。そのような霊的な経験をしていないキリスト者が逆にコンプレックスを持つ例もあるでしょう。しかし、イエスはそのような人々の考えとは違い、霊的に生まれ変わるのは地上の証言、つまり、イエス自身の歴史における生涯にあると言っています。イエスの生涯は、神に仕え人々に仕える人生でした。それを聖書はアガペーであるとか、律法への従順・実現であるとか、神の支配(神の国)であるとか、様々な表現で語っているのです。そのイエスを信頼し、そのイエスの姿に従うことこそ、真に霊的に生まれ変わることであるとイエス自身が語っています。確かに、霊的な事柄は人知を超えたところにあります。それは、ニコデモの感じた通りです。なぜならば、霊の経験とは神の領域の出来事(あるいは神に関わる経験)であるからです。でも、その神の領域をこの世界にもたらし、人々に示したのがイエス自身です。聖書が霊と呼ぶ事柄の中心にはイエスがいることを忘れてはなりません。このイエスを信じて、そのイエスに従う人生が霊によって生まれ変わることなのです。