「教えを確信させるため」

ルカの福音書 1:1ー4

礼拝メッセージ 2026.2.15 日曜礼拝 牧師:船橋 誠


1,ルカの福音書を読もう

 ルカの福音書は、包括的で全体像を示している福音書であり、四福音書中、最も長く最も詳細です。この福音書の続編となる使徒の働きまで読むと、キリストのご降誕からパウロのローマ投獄までの記録があり、教会の誕生と初期の歴史までカバーされています。この福音書と使徒の働きで、分量的には新約聖書全体の四分の一以上を占めています。どなたにもお勧めしたいことは、ルカの福音書と使徒の働きを通読することです。これで新約聖書の歴史的流れが把握できます。
 また、ルカの福音書の特色は、何の差別もなく、あらゆる人々に向けられた福音、すべての人に対する神の愛を強調していることも、今日注目すべき点として挙げられます。選民であるユダヤ人から見て外国人である異邦人や、成人男性優位の社会にあっての女性や子どもたち、社会的弱者であった病気の人や貧しい人々に対して、この福音書にはより多くの関心が向けられています。それは著者の視点でもありますが、主イエスの慈しみ深い眼差しを示しています。また、賛美と祈りの強調、聖霊の働きについて、教えられる点が多くあります。これらのことについては、これから学んでいきたいと思います。


2,多くの人がキリストについて書いている(1〜2節)

私たちの間で成し遂げられた事柄

 多くの翻訳がそうであるように、新改訳聖書も1節と2節を合体させています。無理に分けると日本語として意味が通じにくく感じられるためでしょう。でも、ギリシア語本文では、実はこの1節から4節までは、洗練された一つの長文で記されています。ですから、元々節ごとに翻訳して文章にすることには難しさがあります。ギリシア語文にしたがって新改訳を組み替えて読むと、1節の文だけ切り取ると、「私たちの間で成し遂げられた事柄については、多くの人がまとめて書き上げようとすでに試みています。」となります。
 まず、この「私たちの間で成し遂げられた事柄」というのは、たいへん大きなことを指しています。「成し遂げられた」というギリシア語はペプレーロフォレーメノーンというたいへん長い単語ですが、「何かが完全に成就した」ことを強調する複合的単語です。それが指していることは、ずばり神のご計画のことです。神がイエス・キリストを通して、私たちすべてを救うために成し遂げられた計画です。それはイエスのご降誕から公生涯、そして十字架と復活、昇天までを含みます。そしてそれが成し遂げられた事柄であるというのは、すでに旧約聖書で長い歴史にわたって神が預言者たちを通して語ってこられたことの成就であるということです。
 「私たちの間で」とは、それが成し遂げられた出来事を見た人たちが生存していた時代だったことを表します。そして彼らの中には、「初めからの目撃者」も多数いました。十二使徒をはじめとして、イエスの宣教活動に同行した弟子たちが、この福音書が書かれた時代、おそらく紀元60年頃だと思いますが、まだ多くは健在でした。しかし、第二世代の人たち以降、口伝では限界がありました。そこで、これは絶対に記録して残しておかなければならないと多くの人が考えたのです。

著者ルカについて

 そしてこれらの人たちの間で、この著者は自由にアクセスできる人物でした。それはルカという人です。ルカがこの書と使徒の働きの著者であることは昔から現在に至るまで多くの人が認め、他の見解が示されたことはほとんどありません。ただ、このルカという人物については、それほど詳しくわかっていません。新約聖書でその名前が記されているのは、わずか三箇所だけです。コロサイ4:14「愛する医者のルカ、それにデマスが、あなたがたによろしくと言っています。」、Ⅱテモテ4:11「ルカだけが私とともにいます。マルコを伴って、一緒に来てください。彼は私の務めのために役に立つからです。」、ピレモン24「私の同労者たち、マルコ、アリスタルコ、デマス、ルカがよろしくと言っています。」 すべてパウロの手紙です。
 これらの記述からわかることは、ルカがパウロとともに宣教の働きを進めた人であり、医者であり、投獄されているパウロのそばにいた人であったことです。そしておそらくギリシア人(異邦人)でした。そんな人が歴史家のようにして、この偉大な著述を残しました。それにもかかわらず、彼は名前や自分のことを一切記しませんでした。それは、自分ではなく、キリストを知ってもらうためでした。バプテスマのヨハネのように、「あの方は盛んになり、私は衰えなければならない」(ヨハネ3:30)と思っていたからです。自分ではなく「あの方」、キリストのみに光が当てられ示されることをひたすら願っていたのです。


3,教えが確かなものであることを知ってもらうため(3〜4節)

すべてのことを綿密に…順序立てて

 そうした彼の思いが3節と4節に明らかにされています。3節「私もすべてのことを初めから綿密に調べています」と明言しています。1節と2節ですでに多くの人たちがキリストについて書いていることを記していますが、それらを参照しつつも、「すべてのことを初めから綿密に調べて」書かれたのが、この福音書であるということです。
 この書を記すにあたって、ルカはマタイとマルコの福音書を参考にしたことでしょう。しかし両福音書とは違うかたちで、多くの部分は時系列的に「順序立てて」ルカは記しました。書物を著すことには、コツコツと書き続けていく根気と努力、そして多くの時間が必要です。それを完成に至らせるために大きなエネルギーが必要です。その力の源になるのは、それを読む人たちへの思いではないでしょうか。私は著者ルカの中に静かに燃え続ける熱い魂を感じます。

教えが確かであることを…よく分かってもらうため

 この書の直接の読者は、「尊敬するテオフィロ様」と呼ばれている人でした。「尊敬する」という敬称は、英語ではmost excellentです。同じことばは、ユダヤ総督のフェリクスや、フェストゥス(使徒23:26、26:25)に使われています。こうしたことから、おそらく彼はローマで高い地位にあった人物だったのでしょう。また、「お受けになった教えが…」という表現から、彼は求道中か、信仰をもったばかりの人であったと思われます。そうすると、たったひとりの人のために、ルカはこの長大な福音書と使徒の働きを書いたことになります。「お受けになった教えが確かであることを、…よく分かっていただきたい」ということのためにです。聖霊は、その後、この書を用いて、何千万、何億の人たちをお救いになってきたのです。