コリント人への手紙 第一 15:1ー11
礼拝メッセージ 2015.4.5 日曜礼拝 牧師:船橋 誠
1,復活を信じて生きるとは、 (福音)を信じ、受け入れるところから始まります
イースターおめでとうございます! イースターとは、キリストが十字架に架かられて死なれ、復活されたことを記念する復活祭のことです。キリストが十字架で死なれたことは世界史の教科書にも載っていることで、多くの方がご存知のことと思います。けれども、復活されたことについては、すべての人が認めている訳ではありません。そこで聖書を読むことが必要になってきます。福音書の埋葬や復活の記事を見ると、「彼らはそれを見ていた」というような目撃証言的な表現で書かれているのに気づきます。今日の聖書箇所でも「彼(キリスト)は現れた」という表現が5〜8節まで何回も記されています。キリストの復活が本当に起こったことであることを聖書は証言しているのです。さらに、そこには神の深い目的がありました。「キリストは、・・・私たちの罪のために死なれ・・・よみがえられた」のです。それが福音ということなのです。
2,復活を信じて生きるとは、福音を (土台)にして生きることです
①福音の言葉がこの書の15章に記されている理由とは?
コリント人への手紙第一は、全部で16章あります。福音の言葉が記されているのが15章で、ほとんど終わりの部分に位置しています。3節で「最もたいせつなこと」とパウロが言っているにもかかわらず、それを手紙の冒頭で述べず、なぜ終わりの方に記したのでしょうか。もちろん、これはパウロ自身に聞かなければ、誰も答えることができません。でも、私には福音の言葉がこの終わりの15章に置かれている意味があると考えています。この書の構成を見ると、コリント教会の人たちからのパウロへの質問状への答えから成っていることがわかります。この教会には様々な問題があったようです。教会内の分裂、結婚関係に関すること、賜物についてのこと、偶像に捧げられた肉を食べても良いか等です。そしてこの手紙の読者の多くは、自分は福音を信じているクリスチャンであると思っていました。パウロは彼らが抱えている諸問題の結論として、この福音の言葉を最後に伝えたのでしょう。1節に「これは、私があなたがたに宣べ伝えたもので、あなたがたが受け入れ、また、それによって立っている福音です」と書いています。パウロは言うのです。あなたがたは福音を信じ受け入れていますが、福音を信じて生きるということは、救われて天国へ行ける保証を持っていること限定して理解していませんか、と問うているのです。もし、あなたがたが「それによって立っている」(1節)のなら、これからもあなたがたはいろいろな問題に直面するでしょうが、大丈夫です。すべての解決のカギは、福音を土台として立つことにあります、とパウロは教えてくれているのです。
②復活を信じ、福音に立って生きるとき、すべてのことは神の恵みとして受け取ることが可能となります
10節を読むと、繰り返し「神の恵み」という言葉が出て来ます。「今あるは神の恵み」とパウロが語る生き方は、どこから来るのかと言えば、十字架と復活を信じる福音そのものにあるのです。11節で「私たちはこのように宣べ伝え・・・このように信じたのです」といわれているとおりです。福音を土台として生きることは、神の恵みの大きさに気づいて歩むことになります。ですから、復活を信じ、福音を土台として生きるなら、第一に私たちは謙遜にさせられます。パウロはこの箇所で自分を「月足らずで生まれた者」「最も小さい者」「使徒と呼ばれる価値のない者」と表現しました。第二に、神のために働きたいという熱い思いが湧き上がってきます。パウロのがむしゃらに見える宣教の働きの原動力はその「神の恵み」に圧倒されたことにあり、その恵みの根本はキリストの十字架と復活を信じる福音にあったのです。