ヨハネ福音書 1:14
礼拝メッセージ 2017.10.8 日曜礼拝 牧師:南野 浩則
言葉は肉となった
ロゴスが肉となったといわれている。「人」ではなく「肉」とするのがより正確な翻訳でしょう。この聖書箇所ではロゴス(言葉)はこの世界を成り立たせているものであり、ギリシア哲学では「イデア」などとも呼ばれています。永遠に朽ちない理想の意味が込められています。対照的に、肉は朽ち滅びていくもので、物質と考えてよいでしょう。ロゴスあるいは神的な存在は滅びることはないと人々は考えていました。ヨハネ福音書は、このロゴスとしての神である滅びない者が滅びる者となった、ここに真理があると言っています。それは当時の人々には受け入れ難い、簡単には信じられないスキャンダルでした。滅びる肉となったロゴスこそ、ヨハネ福音書がこれから語るイエスなのです。
ここから私たちが学ぶ意義を考えたく思います。それは、聖書が多様であること。単純な書物ではありません。また、宣教対象であるこの世界が複雑であること。だから、私たちは学ばなければなりません。
以下、3つのことを考えていきます。
神について
1つはロゴス(言葉)の記述から考えることができます。それは、救済に対する神の意志であり、神の価値観です。神は私たち人間を救うために、つまり私たちが神とともに生きるために、自らの考えをこの世界に実現し、拡大し、浸透させようとしています。神は何を考え、何をしようとしているのか、それを知らなければ教会も個々のキリスト者も何もできません。私たちは聖書のことを教えられれば一度きりで理解したつもりにもなりますが、繰り返し確認する必要があります。また学ぶ中で、これまでは気づいていなかった内容を学び直すこともできます。
この世界について
次に、肉から考えなければなりません。その意味は、私たちが住んでいるこの世界について学ぶことです。神の価値観が実現するのはこの世界です。神はこの世界にかかわり続け、その働きのために私たちを用いようとされます。ただ、私たちはこの世界に生きているので、この世界をよく知っていると勘違いしがちです。この世界は変化し続け、新たな課題が生まれ、神の価値観の実現の仕方も変わっていきます。それを見定めるために、私たちはこの世界を知る必要があります。
学ぶ視点について
学びにおいて重要な最後の点は、聖書を読む視座・視点です。永遠である者が滅びる者となったのは、イエスを通した神の視点・視座がこの地上にあること、低いところにあること、人間抜きにはありえないことを知り、私たちも同じ視座を持つように学ばなければなりません。キリスト者は神を信じているので、上からの神の視点で物を見ることができると思ってしまいます。俯瞰的な見方は悪いことではないし、救済史の考え方などに典型的に表れています。しかし、人間を感じさえない、人間抜きの福音理解、説教、証、宣教、神学があるとするならば、またそれを良しとする風潮があるとするならば、それは受肉の観点からすればありえないことです。滅びる人間の視座に立つ、そのこと自体を学びたく思います
意識すること
神の価値観を知ること、この世界の仕組みを知ること、低い視座を獲得すること、いずれも自然にできることではありません。意識して学ぶことになります。マタイ福音書28:20でイエスは弟子たちに、ご自身の教えを人々に教えることを求められました。教えられる側としては、それは学ぶことです。学びはそれにとどまってはなりませんが、学ぶことも主の御心としてとらえたいと考えます。