コリント人への手紙 第一 2:1ー5
礼拝メッセージ 2016.2.28 日曜礼拝 牧師:船橋 誠
1,十字架につけられた方を知ることに集中する(1−2節)
パウロは「イエス・キリスト、すなわち十字架につけられた方のほかは、何も知らないことに決心したからです」(2節)と語っています。これは決意の言葉であり、一人の人の生涯にとって、とても重い発言です。この「決心した」は、元々「(神が人を)さばく」とか「(人がはっきりとした)決断を下す」という意味です。それは自分の中でもう決して覆すことも、後戻りもしないという大きな決定です。しかもその決心は「何も知らないこと」の「決心」とあり、確かに極端に映る言葉だと思います。「知恵」(ソフィア)を最も尊ぶギリシア地方の教会の人たちに対して、「何も知らない」つまり、あなたがたの多くが求めている世にある知恵の数々を求めません、と言っているのです。今日、新約聖書として与えられている内容の多くを記したような超一流の頭脳を与えられていたパウロの発言として考えると、それは驚きの言葉です。
でも、これらの言葉は知恵や知識全般を否定しているのではなく、むしろ、最も大切で、最も意味のあることに、人生を費やすことに決めましたということです。それは、彼に与えられた能力のすべて、人生として与えられている時間のすべてをもって、十字架にかけられたイエス・キリストを知るという一点に集中するということなのです。別の書ではこうも述べられています。「このキリストのうちに、知恵と知識との宝がすべて隠されているのです。」(コロサイ2:3)
1章18節から2章5節は「神の知恵vs.人間の知恵」という対比が根底にあります。史上最も知恵のあった人として知られるソロモンの言葉を見たいと思います。彼はイスラエル統一王国で、最も繁栄を享受した王でした。彼の知恵を示す聖書の記述を見ると、「神は、ソロモンに非常に豊かな知恵と英知と、海辺の砂浜のように広い心とを与えられた。…彼は三千の箴言を語り、彼の歌は一千五首もあった。彼はレバノンの杉の木から、石垣に生えるヒソプに至るまでの草木について語り、獣や鳥やはうものや魚についても語った。」(列王記第一4:29,32−33)と言われています。彼は今日で言えば、政治家であり、行政、経済、軍事、産業等のあらゆることに通じていました。そればかりか、思想家にして、情熱あふれる詩人、そして動植物についても卓越した見識を持っていたというのです。その彼が晩年に見出した結論が「伝道者の書」に記されています。「わが子よ。これ以外のことにも注意せよ。多くの本を作ることには、限りがない。多くのものに熱中すると、からだが疲れる。結局のところ、もうすべてが聞かされていることだ。神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。」(伝道者の書12:12−13)。知恵の塊のような人の晩年の結論は「神を恐れよ」という一言でした。神を恐れるということは、神を知ることにほかなりません。「多くのものに熱中すると、からだが疲れる」とあるように、限られた人生という時間を浪費してはいけないことを警告しています。
もちろん、キリストに集中するといっても、それは聖書ばかり読んでいれば良いということではありません。また、学校の勉強や、仕事のための技能や知識が無駄であるということでもありません。キリストという方を人生の土台とし、最終目的として生きるということです。それはあらゆることをキリストとの関わりで見て歩むことなのです。ダビデが「私はいつも、私の前に主を置いた」(詩篇16:8)ということと同じです。
パウロは、この「十字架につけられた」(2節)の言葉を注意深く完了形で表しました。ギリシア語の完了形は、過去に起こり完了したことの影響が、現在においてもなお続いているというニュアンスを含んでいます。パウロにとっても、コリント教会の人たちや現代の読者である私たちにとっても、イエス・キリストが十字架につけられたことが、その人のうちに常に働き、深い影響を与え続けているのです。ですから、この「十字架につけられた方」を知るという学びを、私たちは一生涯かけて行うのです。
2,十字架につけられた方を弱さを抱えて宣べ伝える(3−5節)
「私は、弱く、恐れおののいていました」(3節)は、細かく表現すると、「弱さの中に、恐れの中に、多くのおののきの中に私はいました」ということになります。現代のクリスチャンから見れば、スーパーマンのように勇敢で強い人間としてパウロを見がちですが、私は弱さの中にいた、とここで告白しています。パウロがコリントへ行ったのは、第二回伝道旅行の時で、この旅行中に彼は病気にかかったと考える学者もいます(使徒16:6−10)。というのは、ここから「私たち章句」と呼ばれる一人称複数形の表現に変わり、医者ルカが加わっているからです。そうすると、ここの「弱く」とは精神的なことではなく、病のために衰弱していたことになります。
そのあとにある、「恐れ」や「おののき」は、当然、内面的なことでしょう。知恵で聞こえるギリシア地域で、人々が私の語るメッセージに耳を傾けるだろうか、と不安を抱いていたのでしょう。パウロは、おそらく雄弁な人ではなかったでしょうし、ある聖書注解者は風采の上がらない人物だったとまで書いています。「パウロの手紙は重みがあって力強いが、実際に会った場合の彼は弱々しく、その話しぶりは、なっていない」(コリント第二10:10)と酷評されていたようです。しかし、かえってここでパウロが言っていることは、弱いからこそ、証しできるということでしょう。これは開き直りではなく、霊的な真実です。雄弁だから、立派な人間だから宣教できるのではない。かえって、体の弱い、恐れを抱いて、何の自信も持てないこの私が語るからこそ、御霊の力が働くし、そのみわざが見えるということです。「私が弱いときにこそ、私は強い」(コリント第二12:10)とパウロは言います。