ルカの福音書 1:26ー38
礼拝メッセージ 2026.3.8 日曜礼拝 牧師:船橋 誠
1,御使いはナザレに住むマリアのもとを訪れた(26〜27節)
御使いガブリエル(19、26節、他にダニエル8:16、9:21)が神から遣わされて、マリアのもとを訪れました。「さて、その六か月目」(26節、36節も参照)とは、エリサベツの妊娠六ヶ月目のことで、この受胎告知の出来事がバプテスマのヨハネの誕生予告(8−23節)と深い関わりを持つことを示し、両者は対比的に描かれています。
公的な宣教活動だけではなく、出生の時期においても、ヨハネはイエスに先駆けて現れることになりました。二つの男子誕生予告は、どちらも御使いガブリエルによってもたらされましたが、ヨハネのほうは首都エルサレムにある神殿内で公の礼拝の最中に祭司のもとに届けられましたが、他方イエスについての告知の場所は「ガリラヤのナザレ」(26節)という田舎で、旧約聖書にも言及のない約二千人未満の町でのことでした。しかも社会的立場のない、十代前半の若い女性のもとに密かに届けられたのです。
ヨハネについての告知の舞台の大きさと比較すれば、それは明らかに簡素で目立たたないものでした。これは後に行われていく主の宣教の雰囲気を暗示していました。偉大なる神は、救いの贈り物を飾り気のない簡素で穏やかな包みに入れて、人々の中へと送られるのです。
マリアについての紹介記事を見ると、第一に「処女」であること、第二にヨセフと婚約中であったことが記されています(27節)。当時のユダヤ社会では結婚は二段階のプロセスで行われ、その第一段階は婚約期間で、証人のもとで正式に結婚の合意が交わされ、花嫁料の金銭授受等がなされました。この時点で二人は法的には夫婦として扱われましたが、同居はせず性的関係は許されていませんでした。そして一年後に第二段階として、結婚式が行われ、夫は妻を家に迎え入れて、二人は名実ともに夫婦となるのです。御使いのお告げを受けた時、マリアは第一段階の状態にいましたが、法的立場においては「ダビデの家系であるヨセフ」に属する者とされていましたので、身ごもった子はヨセフの子と見られ(3:23)、ダビデの子孫(多くは「ダビデの子」と表現される)として誕生することになりました(マタイ1:1)。
2,御使いはマリアにメシアを身ごもることを告げた(28〜33節)
マリアは御使いから「おめでとう、恵まれた方」(28節)と呼びかけられ、ひどく戸惑いますが、救い主をその身に宿すという唯一の特権にあずかったことを理解し、後には「女の中で最も祝福された方」(42節)と呼ばれ、「幸いな者」(48節)とされたことに気づくようになります。
御使いは、「イエス」(主は救いの意)と名づけられる子について、四つのことを予告しました(32−33節)。第一に「大いなる者」となること、第二に「いと高き方の子と呼ばれる」こと、第三に「ダビデの王位」を与えられること、第四に「ヤコブの家」を永遠に治めることです。これらの約束から、マリアはダビデに与えられた契約のこと(Ⅱサムエル7:13−16)を思い出したでしょうし、それが長く預言され、人々が待ち侘びてきたメシア(キリスト)の到来を指していることを悟ったと思います。
これから登場するマリア、ヨセフ、羊飼いたち、シメオンとアンナなど、御子の誕生や出現に遭遇した人々は、その知らせや出来事にたいへんな驚きや恐れの感情を表しましたが、即座に歓喜と賛美の心に満たされていったのです。それは時代を超えた救いの恵みであるため、現代の私たちも共感できる幸いです(Ⅰペテロ1:8)。この救いの招きを受け入れ、真のいのちと揺るがぬ希望を受け取りましょう。
3,御使いの告知に信仰をもってマリアは応答した(34〜38節)
マリアは自分が処女であるのに、即時に懐胎してその母となることに驚いて言いました。「どうしてそのようなことが起こるのでしょう。私は男の人を知りませんのに。」(34節)。しかし、ザカリヤの場合(20節)と違って、御使いはマリアを叱責しませんでした。それはマリアが御使いのことばを疑って反応したのではなく、どのようにそれが実現するのかを彼女が知ろうとしたからであることを示しています。
御使いは「聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおいます。」(35節)と答え、それが神の主権に基づく聖霊の創造的な御業であることを明らかにしました。後に復活の主が、「聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。」(使徒1:8)と御国の宣教へと弟子たちを遣わされたみことばを想起させます。約束の聖霊が彼女に臨むことは、荒野を実り豊かな地へと変える神の霊の力におおわれることでした(イザヤ32:15)。マリアは男性との性的関係を持つことなく身ごもることになりますが、この聖霊による受胎(処女懐胎)は、イエスが神であると同時に人であるということにおいても必要なことでした。また、イエスが聖いお方として誕生されるためにも重要なことでした(Ⅱコリント5:21、Ⅰヨハネ3:5)。イエスは真の人間でしたが、他のすべての人と異なり、アダムからの罪深い性質を受け継がずに生まれた唯一の人でした。
この場面で最後に語るのはマリアであり、心からのへりくだりをもって(「はしため」とは女奴隷の意)、神の御心への無条件の従順を宣言しました(38節)。「どうぞ…この身になりますように」とは、「(神様の)為すがままに」という意味であり、神への絶対的な信頼を表しています。神は自ら進んで従うしもべたちを通して、御旨を成し遂げていかれることを示しています。
