「二千三百の夕と朝」

ダニエル書 8:1ー 14

礼拝メッセージ 2024.11.10 日曜礼拝 牧師:船橋 誠


1,「沈黙の四百年間」を預言する

ペルシアからギリシアの支配へ

 2章、7章、8章の預言は、ダニエルの時代からその後の諸国家興亡の歴史を表しています。2章の一番目の「金」、二番目の「銀」、三番目の「青銅」、四番目の「鉄と粘土」の四つは、7章の「獅子」、「熊」、「豹」、「想像を超えた獣」にそれぞれ対応し、8章の「雄羊」と「雄やぎ」は、二番目と三番目とに当てはまります。その国々とは、バビロニア、メド・ペルシア、ギリシア、ローマだと考えられます。1節に「ベルシャツァル王の治世の第三年」とありますが、ベルシャツァルは父ナボニドゥス王との共同統治でバビロンを支配していましたが、5章のとおりベルシャツァルは殺され、バビロニア帝国は滅び、メド・ペルシアが覇権を握ります。ですから8章の幻の啓示をダニエルは5章の出来事の前にすでに見ていたことがここで明らかとなります。2節で彼は幻の中で自分がバビロンではなく、ペルシア帝国三大首都の一つとなる「スサの城」にいたと言います。「スサの城」は後代にネヘミヤが献酌官として働き、エステルが王妃となって活躍した場所です。3節と4節でこのペルシア帝国が「雄羊」として描写され、いかに大きな勢力を拡大していったのかが預言されます。「角」の強調は軍事的な強さを象徴しています。

アレキサンダー大王

 5節に「一匹の雄やぎが、地には触れずに全土を飛び回って、西からやって来た」とあるように、「雄羊」ペルシアは「西」から物凄いスピードで突進して来る「雄やぎ」ギリシア帝国に打倒されてしまいます。世界の中心が中東から西側の勢力に取って代わられる時代が到来したのです。その歴史ドラマの中心は、アレキサンダー大王(アレクサンドロス)でした。彼は哲学者アリストテレスの薫陶を受け、父王フィリッポス二世の暗殺後、わずか二十歳で王位を継承し、ギリシアを完全に征服し、外側の諸国へ目を向け、天才的指導力を発揮して、領土を拡張していきました。彼の軍隊はペルシアの海軍基地を制圧し、紀元前333年にはイッソスのペルシア軍を打ち破りました。その後、小アジアを制圧し、フェニキアの首都ティルスを手中にし、南下してエジプトも支配下に置きました。ペルセポリスを陥落させた以後は、インドへと進軍して行きました。33歳で熱病により亡くなるまで、猛烈な勢いで帝国を拡大させ、ギリシア化を進めました。それが8節までの記述です。「この雄やぎは非常に高ぶったが、強くなったときにその大きな角が折れた。」とあり、「大きな角」がアレキサンダーです。彼の死後、巨大化した帝国は四人の将軍によって分割され、プトレマイオス一世がエジプトとパレスチナ、セレウコスがバビロニアとシリア、リュシマコスが小アジア、アンティパトロスがマケドニアとギリシアを統治しました。

アンティオコス四世

 しかし、最も重要なところは9節以降にある「一本の小さな角」の現れです。「そのうちの一本の角から、もう一本の小さな角が生え出て、南と、東と麗しい国に向かって、非常に大きくなっていった」とあります。これがシリア王と呼ばれるアンティオコス四世(セレウコス朝八番目の支配者)のことで、別名として「エピファネス」(神の顕現)と称した人物です。エジプトへの攻撃をローマに阻まれたアンティオコスはエルサレム神殿にゼウス像を建てて豚の犠牲を捧げ、律法による神殿祭儀を全面禁止し、ヘレニズム文化を強要しました。それが10節から12節に記されています。それは神への反逆であり、冒瀆行為でした。そのため紀元前166年にユダヤの人々はハスモン家のマタティアが指導して反乱を起こし、その後息子たちに継がれ(マカベア戦争)、神殿を奪回し、二十四年間にわたる闘争があり、最終的にはハスモン朝が成立し、政治的・信仰的自由を勝ち取りました。

預言に向き合う

 現代の私たちには、これら諸帝国の興亡は遠い昔の過ぎ去った歴史の一頁に過ぎませんが、ダニエルはこれらの歴史の流れを雄羊と雄やぎ、角の幻によって示されました。彼がどこまで理解できたかどうか不明ですが、彼はこれらのことが十分理解できないまでも、それを記録として残し、「その後、起きて王の事務を執った」(8:27)と記しています。ダニエルは神から与えられた啓示をそのまま受け止め、真摯に向かい合いました。これは今日の私たちにも大切なあり方を示します。聖書は確かに難しいところがたくさんあり、自分にとってどう受け取り理解してよいか、わからないことがあります。けれども、ダニエルが分からなくても啓示をしっかりと受け取り、真剣に向かい合ったことを忘れてはならないのです。ダニエルは「その後、起きて王の事務を執った」(8:27)とあります。どんなにこれから厳しい未来が待ち構えていても、またはその渦中にあっても、「起きて王の事務を執る」という眼の前の日常をしっかりと大切に、そして希望を抱いていつもどおりに送っていく、これは本当に大事なことです。神のことばに則して生きるとはそういうことなのでしょう。


2,「二千三百の夕と朝が過ぎるまで」

 迫害や弾圧はいつまで続くのか。苦難の日々はいつ終わるのか。これは誰もが聞いてみたい神への問いでしょう。それが「二千三百の夕と朝が過ぎるまで」と語られます。「二千三百の夕と朝」には多くの解釈がありますが、有力な考え方は二つです。一つは文字通り「二千三百日」と捉える理解で、計算すると約6年半となります。もう一つの見解は「二千三百の夕と朝」というのは神殿で犠牲が朝夕二度捧げられたので日数としては半分で考えます。すると「千百五十日」となり、三年と約二ヶ月です。大まかですが、それが7章25節の「一時と二時と半時の間」(1+2+1/2=3.5)、9章27節の「半週の間」(7÷2=3.5)の「三年半」を意図すると考えます。「三年半」は「七年」という完全数の半分で、象徴としては「不完全」や「短い期間」を示すと考えられます。いずれの理解でも、確かなことはここで「二千三百の夕と朝が過ぎるまで」は、ずっと続くものではなく、期限付きだということです。迫害、苦難、敗北は、決して長く続くことはないのです。必ず終わりを迎えます。そこに希望があります。教理書の中にヴェルナー・ベルゲングリューンという人の詩がありました。「イエス・キリストの聖き肉と血は、わが鎧、鉄甲。砲弾銃丸のたぐいをもってするも、何人(なんぴと)もわれを斃すこと能わず。…いかなる不幸の襲うとも、われは不幸の許に残されず。いかなる労苦になやむとも、われは労苦に殺されず。幾夜目ざめて悩むとも、やがて朝(あした)を迎うべし。…」(『キリスト教の教理 ハイデルベルク信仰問答による』新教出版社)。信仰による希望を抱くことは、このように苦難に負けない力を与えます。