「上にあるものを思いなさい」

コロサイ人への手紙 3:1ー11

礼拝メッセージ 2025.8.24 日曜礼拝 牧師:太田真実子


 コロサイ 3:1-11 は、パウロが「キリストとともによみがえらされた新しい人として生きること」を勧めている大切な箇所です。
 コロサイ人への手紙は、「キリストにある新しいいのち」を強調する手紙です。2章では「律法的な規則や人間的な宗教に縛られないで、キリストにある自由を生きる」ことが勧められていました。そして今回の3章では、その続きとして「では、具体的にどのように生きるのか」が語られています。


1,新しい視点を持つこと(3:1-4) 

〇上にあるものを求めなさい(3:1-2)

 パウロは、キリストとともによみがえらされた者として、視点を「上」に向けさせています。つまり、キリスト者は、キリストとともに霊的に「よみがえった」存在であり、だからこそ、地上的な価値(欲、栄誉、物質)ではなく、「天にあるキリストの視点」を優先すべきだと教えます。「上にあるもの」とは、神さまのみこころ(神の価値観/神の支配)のことです。

いのちは、キリストとともに神のうちに隠されている(3:3-4) 

 ここで言う「死」(3 節)とは、古い自分(罪に支配された生き方)が死んだということです。当時、ギリシャ人は、人が死んで葬られることを「地中に隠される」と表現したと言われています。それで、パウロもキリスト者がキリストとともに霊的に死んで葬られることを「神のうちに隠されている」(3 節)と表現したのでしょう。
 キリスト者は、キリストに属していて、神のうちに守られています。そして将来、キリストが再臨されるとき、キリスト者も、「キリストとともに栄光のうちに現れる」(4 節)という希望が示されています。キリスト者の真のいのちは、今は隠されていても、終末にはともに栄光の中に現れるのです。パウロは、そのような将来の希望と今の信仰生活を結びつけて「新しい視点を持って、上にあるものを求める」ことを励ましています。

 それは、「地上を去って天国に行く日を考えなさい」ということではありません。イエス・キリストは今、すべての被造物を治めておられ、いつの日かキリストが地上に戻って来られて、すべてを造り変えられる。そして、あなたがたのいのちであるキリストとともに、あなたがたも栄光のうちに現れる。だからこそ、やがてなるであろう新しい人として今を生きる ように、パウロは勧めているのです。


2, 古い生き方を捨て、新しい人を着ること(3:5-11)

 5 節以降でパウロは、罪に死に、キリストにある新しい共同体に生きるよう具体的に教えています。

古い人を捨て、罪の習慣を断ち切る(3:5-9)

 「殺してしまいなさい」(5 節)という強い表現によって、罪を放置せずに徹底的に断ち切るように教えています。列挙されているのは、当時の異教社会に広がっていた実際の生き方だと考えられます。これらは人間関係における罪であり、言葉の暴力、憎しみ、偽りは共同体を壊します。これらの罪を断ち切ることは、単に個人の倫理ではなく、共同体の健全さや平和を作るためにも大切なことです。
 パウロは「古い人をその行いとともに脱ぎ捨て」(9 節)るように命じています。「脱ぎ捨てる」とは、古い衣服を脱ぐように、過去の生き方を徹底的に捨てることを示しています。それこそが、キリストとともに死んだ者にふさわしい生き方だということです。

新しい人を着る(3:10-11) 

 キリスト者は、「新しい人」を着る存在です。これは日々、神に似せて造り変えてられていきます。「真の知識」(10 節)とは学問的なことではなく、神とキリストを知る知識のことです。そして、社会的・民族的・文化的な区別や壁は、キリストの前に差別や優劣がありません。すべての人が同じ「新しい人」とされて、キリストに属する者とされます。このお方こそがすべてであり、すべてのうちにおられるお方です。
 私たち教会は、キリストの似姿に変えられていくプロセスを歩みながら、常にこのお方にあって一致していくのです。これはまさに、人々の間にあらゆる壁があった当時の教会にとって、また現代の私たちにとっても、「新しい共同体」だと言えます。キリストがすべてであり、このお方こそが、共同体に一致を生み出してくださいます。

 私たちの間でも、すでにキリスト者とされながらも「地にあるもの」の価値観に引っ張られてしまうことがあるでしょうか。神さまは私たち教会に、あらゆる差別や優劣を超えた「新しい共同体」として、キリストの新しいいのちを証していくことを願っておられます。