「キリストの心で仕えた人たち」

ピリピ人への手紙 2:19ー30

礼拝メッセージ 2015.11.1 日曜礼拝 牧師:船橋 誠


 皆様は今まで誰かから推薦されたり、誰かを推薦したことがあるでしょう。この箇所(2:19−30)は言わば推薦状です。パウロはピリピの教会へ、2人の人物を推薦して送り出しました。テモテとエパフロデトです。内容をつぶさに見ていくと、とても心のこもった文章であることに気づきます。一生懸命に推薦状をしたためるパウロの姿が見えるようです。また、推薦を受けた2人のしっかりとした人物の様子もわかります。そしてこの手紙が届けられた時、ピリピの教会で喜びと敬意をもって彼らが迎えられたことを想像することもできます。
 この聖書箇所は、3つの次元(あるいは立場)で見ていく時、教えられている意味の深みを味わうことができるでしょう。それは推薦される側(テモテとエパフロデト)として、推薦する立場(パウロ)として、さらに推薦された人を迎える教会として、の3つです。


1,テモテやエパフロデトのような         (仕える人)になりましょう

 21節「だれもみな自分自身のことを求めるだけで、キリスト・イエスのことを求めてはいません」とストレートにパウロは書いています。人は皆、自己中心的に生きていると言っているのです。パウロは最晩年の手紙で「終わりの日には困難な時代がやって来る…そのとき人々は、自分を愛する者、金を愛する者、大言壮語する者、…になる」(Ⅱテモ3章)と言っています。世の終わりが進めば進むほど、人々は自己中心で、他の人たちを軽視し、神よりも快楽を愛するようになっていくという指摘です。この世で星々のように輝くことが期待されている私たちは、テモテやエパフロデトの姿にならい、利己的に傾く傾向を自戒し、他の人たちに心を配る者となるように導かれています。
 さて、テモテという人物に注目しましょう。彼はこのピリピ人への手紙では、パウロとともに発信人に名を連ね、「キリスト・イエスのしもべ」(1:1)と書かれています。パウロの同労者的な存在は数多くいたでしょうが、テモテは特に愛された人物であったようです。「信仰による真実のわが子テモテ」(Ⅰテモ1:2)と呼ばれています。彼は、パウロの第一回伝道旅行の際に、信仰を持ったようです。父親はギリシア人で、母と祖母は熱心な信仰者でした。第二回伝道旅行以後、パウロとともに宣教の働きにつき、獄中にあったパウロのそばにもいました。テモテがどんな人であるかを示す言葉は、「同じ心」(20節)という表現から見ることができます。もちろん、テモテの心はパウロの心と同じだったということですが、2章全体の流れで見ると、それは「キリストの心」(参照2:5)とも同じであったとの意味が含まれています。コリント人への手紙第一では「彼は、私が至る所のすべての教会で教えているとおりに、キリスト・イエスにある私の生き方を、あなたがたに思い起こさせてくれる」(Ⅰコリ4:17)人物として推薦されています。
 さて、次にエパフロデトについてはどうでしょうか。彼についての情報はこの聖書箇所に限られており、詳細は不明です。わかりますことは、彼がローマの獄中にあったパウロに、ピリピの教会からの贈り物を届け、その後、重い病気になってしまったが、神によって癒され回復したことです。やがてピリピの教会への礼状として書かれたこのパウロからの「ピリピ人への手紙」を携えて、戻って行ったのです。
 彼はパウロからテモテに対するものと劣らぬほどに多くの推薦の言葉を受けました。「私の兄弟」「同労者」「戦友」「あなたがたの使者」「仕えてくれた人」(25節)。
 ある注解者はエパフロデトのことを「ギャンブラー」と記していました。「ギャンブラー」とは英語で賭け事をする人、ばくち打ちのことを意味しますが、もう一つ意味があります。それは「危険を顧みずに成功を求める人、リスクを取れる人」(「ウィズダム英和辞典」)のことです。注目すべきは、彼がキリストのために危険を冒したということです。獄にいる人を訪ねることは、仲間や関係する者であることを示すことでした。囚われ人が重罪人となれば、自分の身に災いを招きかねない行動でした。また、ピリピからローマへはとても遠く、陸路で行くにも、船を使うにも、その移動は危険で、骨の折れる道のりでした。実際、旅の途中か、ローマに到着して、彼は病気になってしまいました。しかし、そのリスクは、キリストのため、福音のために負われたものでした。
 パウロは別の書でこう言っています。「自分で自分を推薦する人でなく、主に推薦される人こそ、受け入れられる人です」(Ⅱコリ10:18)。私たちも主に推薦される人を目指そうではありませんか。


2,テモテやエパフロデトのような人を        (育て)ましょう

 テモテやエパフロデトのような推薦できる人物が一朝一夕に育ったわけではありません。彼らを育てた人たちが、ピリピの教会にいたでしょうし、パウロという存在もありました。パウロに注目すると、まずパウロの周りにはいろいろな人たちがいて、そして彼らとともに礼拝し、ともに奉仕していたのではないかと思います。22節「彼は私といっしょに福音に奉仕して来ました」とあるとおりです。いっしょに奉仕する中で、良いことも悪いことも経験し、失敗も味わったと思います。しかしそういう共有体験の中で、失敗を恐れずリスクを厭わない人たちが育ったのでしょう。


3,テモテやエパフロデトのような人を        (支援)しましょう

 最後に、テモテやエパフロデトのような主に仕えている人たち(教職者であろうと信徒であろうと)がいることを感謝し、喜び、尊敬をもって迎え、あるいは支えていきましょう。