マルコの福音書 15:42ー47
礼拝メッセージ 2022.3.6 日曜礼拝 牧師:船橋 誠
1,イエスの埋葬は、主の死を証しする
主の埋葬の事実の重要性
本日のイエスの葬りの記事は、私たちの心に響く十字架と復活の話の間に挟まれて、目に留めることの少ない聖書のことばであるかもしれません。讃美歌や聖歌でも、「十字架」や「復活」を歌う曲は多くありますが、「葬り」を歌った賛美というのは、あまり聞きません。しかし、使徒信条には「主は…ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、…」と、「死にて葬られ」ということばが明記されています。イエスが埋葬されたという事実は、私たちの信仰において忘れてはならない真理を教えているのです。たとえば、16世紀に作られたドイツ改革派教会の教理問答集『ハイデルベルク信仰問答』には、主の埋葬についての問いがあります。第四十一問「なぜ、彼は葬られ給うたのですか。―それは、彼は真に死に給うたのだということを証しするためです。」と語られています。この教理問答にあるように、確かにこう言い表すことができるかもしれません。この葬りという出来事がなければ、イエスの十字架は完了したことを示すことができないということです。あるいは、もし葬られていなければ、本当にイエスが死なれたことを明確にすることができず、この後の復活という出来事の意味が薄められかねないということです。
イエスも死なれ、葬られた
また、イエスというお方が、まさに人間としてこの世界で生きられ、死なれたということを、この葬りほど明確にしていることはないと思います。イエスは当時のユダヤの習慣に基づいて、亜麻布に包んで、横穴式の墓に埋葬されたのです。主は、暗い墓の中に冷たいからだとなって横たえられたのです。今まで、多くの葬儀を執り行わせていただきましたが、その度に心に思う一つのことは、イエスも死んで葬られたというこの事実です。イエスも死なれたし、葬られたのです。さらに言えば葬られてそれで終わりではないというみことばから来る確信もあります。先程の『ハイデルベルク信仰問答』の続く第四十二問には、「キリストが私共のために死に給うたのであれば、どうして、私共も死ななければならぬというようなことが起こるのでしょうか。―私共の死は、私共の罪の償いではありません。むしろ、それは、罪の消滅と、永遠の生命への入口にすぎないのです。」とあります。また、ルターは言っています。「人間が、人生のもう終着駅だと考えることは、神にとっては通過駅である。人間がピリオドと考えることは、神にとってはカンマである」と。
2,イエスの埋葬は、神の国の始まりを予感させる
アリマタヤのヨセフ
ここにアリマタヤのヨセフという人が登場します。これまでこの福音書の記事にまったく出て来ていない人物です。イエスが十字架刑に処せられたということは犯罪人、謀反人として刑死した訳ですから、引き取り手がなかったとしても不思議ではなかったかもしれません。そのまま野ざらしで遺体が棄てられることだってあったのではないかと思います。まして、イエスに付き従っていた男性の弟子たちは逃げて姿がありません。40〜41節、47節には、女性の弟子たちがいたことが書かれています。しかし、女性たちには、イエスの埋葬許可を取り、お墓を準備することは、そうしたくてもできないことでした。
マルコの福音書の記述では、彼は「有力な議員」であったと記されています。他の福音書からの情報を加えると彼が「金持ち」(マタイ27:57)であったことや、「イエスの弟子」であったことも語られています(マタイ27:57、ヨハネ19:38)。43節「アリマタヤ出身のヨセフは、勇気を出してピラトのところへ行き、イエスのからだの下げ渡しを願い出た」とあります。「勇気を出す」という語は、「勇敢に(大胆に)する」、「あえて危険を冒して行う」、という意味のことばです。「有力な議員」とはいっても、謀反人、政治犯として処刑された人の引き受けを申し出るというのは、大きなリスクが伴うものであったでしょう。ヨセフの行なったイエスの埋葬は本当にたいへん骨の折れることだったと思います。イエスが午後3時に息を引き取られたとすると日没までそんなに時間はありません。日が暮れて安息日が始まってしまうと、何もできなくなるのです。その短時間のうちに、ピラトから許可を取り付けなくてはならず、そして亜麻布を手に入れ、遺体を十字架から降ろし、処刑場からどれくらい距離があったのかはわかりませんが、そこまで運ばなくてはならなかったのです。もちろん、ニコデモやほかに手伝う人たちがいたと思います。
神の国の福音に突き動かされる人々
こうしたヨセフの思い切った犠牲的な行動に教えられる点も多々ありますが、それ以上に、ここでこの福音書が明らかにしていることは、イエスが宣教された「神の国」が今ここに動き始めているという事実です。弟子たちは逃げていなくなり、イエスの周りに集まっていた人々も影を潜め、そしてイエスは犯罪人として処刑されてしまいました。しかし、「神の国」は終わってはいなかったし、むしろ「神の国」は静かに動き始めており、その支配は広がりを示し始めていたということです。イエスの遺体が墓に納められた後、墓の入り口に非常に大きな石の蓋がされ、日はどっぷりと暮れて夜となり、安息日となりました。女たちもヨセフもその場を去りました。人間がまったく知ることも手出しすることもできない何かが、暗闇の中で進行していました。とてつもない神の御業が、「夕があり、朝があった」というその秘められた創造の働きが、人間世界から大きな壁で隔てたような巨大な石の向こう側で、墓の中において起ころうとしていたのです。
遡って43節を見ると、ヨセフは「自らも神の国を待ち望んでいた」と記されています。この表現を正統的なユダヤ教信仰を持ったことを表していると解説している人もいますが、私はそうではないと思います。マルコの福音書において「神の国」あるいは「神の支配」とも訳せる表現は、中心的主題としてこれまで語られてきたことばです。度々振り返って確認してきた1章15節のイエスの宣教開始の宣言を見てください。「時が満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい。」とイエスは仰ってこの福音書は始まりました。神の国は近づいている、もうそこまで来ているとイエスは宣教されて来たのです。十字架の正面に立った百人隊長は「この方は本当に神の子であった」(15:39)と告白し、遠くからではありましたが大勢の女の弟子たちが十字架の主を見守り、そして、信仰があるのかないのか明確でなかったようなアリマタヤのヨセフが、ここに来て、大切なイエスの葬りを行なっています。イエスの語られた神の国の福音に、人々はいつの間にか突き動かされていたのです。人の目につかないようなそのところで、神の国という命の鼓動が、その脈動が打ち始めており、続く16章の復活の記事へとつながっていくのです。神の国(神の支配)は確かに始まっていたのです。