「わたしの道に歩むなら」

列王記 第一 3:3-15

礼拝メッセージ 2023.7.16 日曜礼拝 牧師:太田真実子


1.ソロモンは主を愛し、父ダビデの掟に歩んでいた

 「主を愛し、ダビデの掟に歩んでいた(3節)」という言葉は、列王記全体の鍵となっています。
 列王記は、ソロモンの父ダビデ王の晩年の記述から始まります。列王記におけるダビデへの評価は、「主の命令と掟を守り、主を愛し、主の道に歩んだ」というものです。列王記全体を通して見ると、この書においてダビデは「主を愛し、主の道に歩んだ」という点で、最も評価されている人物であると言えます。
 ダビデがソロモンに受け継ぐ際には、このように語っています。「あなたの神、主への務めを守り、モーセの律法の書に書かれているとおりに、主の掟と命令と定めとさとしとを守って主の道に歩みなさい。あなたが何をしても、どこへ向かっても、栄えるためだ」。そして、それ以降、列王記は、ダビデに続く歴代の王たちが「ダビデのように主を愛し、主の道を守ったかどうか」という視点に立って、王としての良し悪しを評価しています。列王記の著者が注目しているのは、「どんな偉業を成し遂げたか」ではなく、王たちが「主の目にかなったか」という点であるわけです。
 3節の「主を愛し、父ダビデの掟を歩んでいた」という言葉からは、ソロモンが父ダビデの思いをしっかりと受け継いでいたことが伝わってきます。もちろん、それが「ソロモンが完璧な信仰者だった」ということではありません。3節の後半で「ただし、彼は高き所でいけにえを献げ、香をたいていた」と書かれていることに、引っかかる人もおられるのではないでしょうか。「高き所」とは、列王記に何度も出てくる言葉でもあり、偶像礼拝にかかわる場所です。これについては、大きく2つの解釈があります。
 ひとつは、ソロモンがのちに、異教の神を拝む外国の女性たちを妻にしたことにより、彼の心が次第に神から離れていくことの伏線だという理解です。もうひとつは、この記述はソロモンが偶像礼拝をしていたことを示すものではないという見方です。当時はまだ神殿がなかったので、既存の高き所で主にいけにえがささげられていました(2節)。3節の「ただし」という語についても、2節の「ただ」という語と同じ単語が使われています。ですから、神殿がまだ建てられていなかったことを示しているのか、ソロモンの心が偶像から完全に離れてはいないことを示しているのか、断言できないところでもあります。
 しかし、どちらにしても、6節のソロモンの言葉からは、自分ではなく主こそが真の主権者であり、恵みの源であるということを深く理解していることが伝わってきます。ソロモンはイスラエルの王として父ダビデから最も受け継がなくてはならない「主を愛する」ということを、しっかりと受け取っていたようです。


2.自分の務めを正しく理解していたソロモン

 また、ソロモンは自分の務めをよく理解していた人であったことがわかります。ソロモンが神様に知恵と判断の心を求めたのは、彼が王として主の民を治める責任を自覚していたからではないでしょうか。彼の願いは、「善悪を判断してあなたの民をさばくために、聞き分ける心をしもべに与えてください(9節)」というものです。これについて、直前の7-8節で、この要求がいかに必要なものであるのかについて、理由を語っています。
 ソロモンは、父ダビデに代わって自分を王としたのは主ご自身であることを理解していました。しかし、自分は王として未熟であることや、あまりにも大勢の民を治めることの難しさも、自覚しています。
ソロモンは王という立場でありながら、イスラエルの民を「わたしの民」とは呼んでいません。あくまで、「あなたの民」、つまり「主の民」であることを知っていました。自分のことは、「小さな子ども」であると言っています。当時の具体的な年齢は定かでありません。ただ、ソロモンの年齢がいくつであったとしても、ソロモンが自分の未熟さを自覚していたからこその発言でしょう。彼はすでに、現実的な政治の難しさに直面していたかもしれません。
 ソロモンが神様のみこころにかなう願いを口にしたのは、彼が日頃から主から与えられた自分の務めをよく理解し、そのために労苦していたからではないでしょうか。私たちが王としての務めを担うことはありませんが、神様が私たちに願っておられる役割があるはずです。私たちも、神様が自分に願っておられる務めをよく考え、そのためには何が必要なものを、祈り求めていきましょう。


3.神様がソロモンに最も願っておられたこと

 最後に、神様がソロモンの願いに応えられるとき、彼の長寿に関しては「わたしの掟と命令を守ってわたしの道に歩むなら」と条件をつけておられることに注目したいと思います(11節)。
 ソロモンの願いは主のみこころにかない、「知恵と判断の心」が与えられました。それに加えて、富と誉れをもお与えになります。これ以上願うものがないほどに、ソロモンは恵みを受けました。しかし、ただひとつ、彼の長寿に関することだけは「あなたの父ダビデが歩んだように、あなたもわたしの掟と命令を守ってわたしの道に歩むなら、あなたの日々を長くしよう」と条件をつけておられるのです。
 主は何よりも、ソロモンが最後までご自分を愛し、ご自分に従い続けることを願っておられます。良い働きをすることも大切ですが、「主の道を歩」んでいなければ、意味がありません。私たちはあくまで主のしもべとして、主の道を歩み、そのなかで良い働きができるように必要を主に祈ってまいりましょう。主は必ず必要を満たし、祝福してくださいます。