「愛する兄弟として」

ピレモンへの手紙 1ー25

礼拝メッセージ 2025.11.9 日曜礼拝 牧師:太田真実子


 著者は使徒パウロで、ローマの牢獄にいたとき(紀元60年ごろ)に書かれたと考えられています。おそらくエペソ書、ピリピ書、コロサイ書と同じ時期の手紙です。この手紙の目的は、「逃亡した奴隷オネシモを赦し、キリストにある兄弟として受け入れてほしい」というパウロの願いを、主人ピレモンに伝えることにありました。当時、奴隷が主人から逃げることは重い罪とされ、厳しい処罰を受けるのが当然でした。けれどもパウロは、そうした社会的身分の壁を越えて、オネシモを「キリストにある兄弟」として迎え入れるよう、ピレモンに訴えているのです。


1,愛する兄弟への挨拶(1-7)

 パウロはまず、「ピレモン、アッピア、アルキポ、そして家にある教会」に挨拶をしています。ピレモンたちは、おそらくコロサイ教会の中心的なメンバーでした。当時の教会は専用の建物を持たず、家庭で集会を開くのが一般的だったため、ピレモンの家はコロサイの重要な集まりの場であったと考えられます。アッピアとアルキポについて詳しいことは分かりませんが、ピレモンの家族(妻や息子)あるいは信仰の同労者であったと見られます。
パウロは手紙の冒頭で、神への感謝を通してピレモンの信仰を称えています。彼の信仰は言葉だけでなく、愛と奉仕をもって多くの人々に現れていました。ピレモンの愛が教会の中で人々を励まし、信仰共同体を生かしていたことがうかがえます。またパウロはピレモンを「兄弟よ」と呼びかけ、親しい信頼関係の中で語りかけています。神への感謝と、友への思いやりに満ちた、あたたかい挨拶の言葉です。


2, 奴隷としてではなく、愛する兄弟として(8-21)

 パウロは、「命令ではなく、愛によってお願いしたい」と前置きしながら、オネシモを赦し、キリストにある兄弟として迎え入れてほしいとピレモンに頼みます。彼には使徒としての権威があり、命令することもできたはずです。しかしあえてそうせず、「愛による勧め」を選びました。ここには、人を変えるのは権威ではなく、愛であるというパウロの姿勢が表れています。
 オネシモはかつて逃亡した奴隷でした。けれども、パウロと出会い、信仰によって新しい人とされました。パウロは彼を「私の子」と呼び、まるで家族のように扱います。また、「かつては役に立たなかったが、今は役に立つ者となった」と言います。これは、オネシモという名前が「有益な」という意味を持つことを踏まえた言葉遊びであり、キリストによって人が新しく造り変えられることを象徴しています。
 さらにパウロは、ピレモンの自由な愛の応答を尊重し、「あなたの同意なしに何もしたくない」と語ります。それは単なる礼儀ではなく、「愛は強制されてはならない」という深い理解に基づいた態度でした。もしピレモンがすぐに赦す決心がつかなくても、パウロは彼を責めなかったでしょう。
 「オネシモがしばらくの間あなたから離されたのは、おそらく、あなたが永久に彼を取り戻すためであったのでしょう(15節)」。この言葉には、パウロの深い信仰が表れています。逃亡という過ちの背後にも、神のご計画があったのではないか。パウロはそう信じ、神は人の失敗さえも、赦しと和解のために用いられることを示しています。
 そして、「もはや奴隷としてではなく、奴隷以上の者、愛する兄弟として(16節)」。この一節こそ、パウロが最も伝えたかった核心でしょう。彼は社会制度そのものを直接改革しようとしたのではありません。しかし、福音によって「奴隷」から「兄弟」へと人間関係が根本的に変えられる。この福音的人間観の変革こそ、霊的にも社会的にも大きな革命だったのです。
 またパウロは、ピレモンに損害や負債があるなら「私がそれを支払います」と申し出ます。これは、まるでキリストが私たちの罪の負債を負ってくださった姿を思わせます。直接「キリスト」という言葉は使われていませんが、パウロの行動そのものが、キリストの赦しを具体的な人間関係の中で生きることの模範となっています。
 21節では、パウロのピレモンへの深い信頼が最もよく現れています。一見すると、パウロが「愛のゆえに懇願します」と言いながらも、断れないような形でお願いしているように見えるかもしれません。しかし、ここには強制ではなく、確信があります。「ピレモンなら必ず理解してくれる。信仰によって受け入れてくれる。いや、きっと私の思いを超える愛を示してくれる」。パウロはピレモンの思いを尊重しつつも、そう信じていました。
 この箇所を通して、私たちは次のことを教えられます。人を変えるのは力ではなく、愛の勧めであるということ。そして神様は、人の過去の失敗に、赦しと和解をもたらしてくださるお方であるということです。私たちはキリストにあって「兄弟姉妹」とされ、互いに受け入れ合う者とされました。誰かを赦すということは、キリストが私たちにしてくださった愛を生きることです。


3.恵みがありますように(22-25)

 手紙の締めくくりにも、福音のあたたかさと、キリストにある希望が込められています。22節は、信仰に満ちた希望の表明だと言えるでしょう。パウロはこの時、ローマで軟禁状態にありました。それにもかかわらず、「祈りによって解放され、再び会える」と信じています。また、パウロはともに獄中にいるエパフラス、そして同労者であるマルコ、アリスタルコ、デマス、ルカからの挨拶を伝えています。パウロ一人だけでなく、他のキリストにある兄弟たちからの挨拶を受け取ることで、ピレモンたちはどれほど励まされたことでしょうか。
 最後に、パウロは神の恵みを祈りつつ手紙を結びます。イエス・キリストは、私たちの人間関係においても間に立ち、壊れた関係に和解の道を開いてくださるお方です。そして何よりも、神と私たちとの壊れた関係を回復し、恵みによって結び直してくださったお方です。