「祈りを聞いて、守ってくださる神さま」

ピリピ人への手紙 4:4ー7

礼拝メッセージ 2025.6.29 日曜礼拝 牧師:太田真実子


 本日の聖書のみことばから教えられるのは、神さまは私たちが感謝をもって祈りと願いをささげるとき、私たちの理解を超えて、キリスト・イエスにあって守ってくださるお方だということです。今回は「祈りと願い」をキーワードに、みことばをともに味わっていきましょう。


1,神さまは、私たちの生活を守ってくださる

 ピリピ人への手紙は、パウロとテモテが、ピリピ教会の兄姉たちを励ますために書いた手紙です。パウロのことばから、まず分かるのは、私たちの生活は神さまによって守られているということです。だからこそ、私たちは心配せずに、願い事を神さまにお伝えすることが勧められています。
 神さまが私たちを守ってくださるからこそ、思い煩う(=さまざまに考え悩み、心を苦しめる)必要はありません。みなさんは日ごろ、思い悩むことが多いでしょうか。人間関係のこと、仕事や経済、健康、将来のことなど、私たちは考えるべきことが山ほどあります。そしてその中で、不安に押しつぶされそうになったり、夜眠れなくなったりすることもあるかもしれません。
 このことについて、イエスさまはこうおっしゃいました。《何を食べようか、何を飲もうかと、自分のいのちのことで心配したり、何を着ようかと、自分のからだのことで心配したりするのはやめなさい。いのちは食べ物以上のもの、からだは着る物以上のものではありませんか。》(マタイ6:25)イエスさまはここで、私たちが心配しなくても、神さまが私たちのことを大切に思い、日々の生活を守ってくださることを教えてくださっています。だからこそ、安心して、必要なことを神さまに願い、祈ることができるのです。


2, 悲しみの中にあっても、理解を超えた希望がある

 神さまは、世界と私たち一人ひとりの主として、日々の生活を守っておられます。しかし、もし今、終わりの見えないような痛みや悲しみの中にいるとしたら、「神さまはあなたの生活を守ってくださっている」というメッセージは、すぐには心に届かないかもしれません。
 だからこそ、覚えておきたいのは、たとえどんな痛みや悲しみを抱えていたとしても、「神さまが、私たちの涙を拭い去ってくださる日が必ず来る」ということです。《神は彼らの目から涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、悲しみも、叫び声も、苦しみもない。以前のものが過ぎ去ったからである。》(黙示録21:4)この希望は、決して失望に終わることのないものであると、聖書は約束しています(ローマ5:5)。
 誰もその日を経験したことはまだありませんが、神さまは私たちの理解を超えた平安を与えてくださるお方です。だからこそ、パウロは《主は近いのです》と語り、《いつも主にあって喜びなさい》(4節)と励ましているのではないでしょうか。
 詩篇の詩人はこう告白しています。《夕暮れには涙が宿っても、朝明けには喜びの叫びがある。私は平安のうちに言った。『私は決して揺るがされない』》(詩篇30篇)私たちには、イエスさまが再び来られて神の国が完成し、悲しみがすべて過ぎ去るという、確かな希望の約束があります。


3,神さまの願いは、私たちが願いを祈ること

 神さまは、私たちのことをすべて知っておられます。そのうえで、なお「祈ってほしい」と願っておられるのです。それはまるで親と子の関係のようです。
 私たちが神さまに感謝していても、していなくても、神さまは私たちを守り、必要なものを与えてくださっています。しかし、私たちが神さまの愛を信じて素直に受け取り、神さまに頼り、その関係を喜ぶことができたとしたら、それはどれほど祝福に満ちたものでしょうか。

 祈りにおいて大切なのは、「感謝をもって」神さまに願い事を伝えることです。ただし、苦しみの中で感謝が出てこないときもあるかもしれません。
 詩篇にも、こうした嘆きの祈りがあります。《主よ、なぜあなたは遠く離れて立ち、苦しみのときに身を隠されるのですか。》(詩篇10篇)
 感謝どころか、神さまへの不満があふれているようなこの祈りの中にも、なお神さまに語りかける姿勢があり、そこに信仰が表れているのではないでしょうか。
 感謝できないときでも、私たちは神さまを人生の主として信頼し、正直な思いを祈りとしてささげていきましょう。神さまはこの世界と私たちをお創りになり、変わらずに私たちを大切に思っておられるからです。
 そして、だからこそ私たちは、理解を超えて守ってくださる神さまに、感謝をもって願いを伝えましょう。神さまは、私たちがご自身に頼ることを喜び、やさしく守ってくださいます。