「誰もが聞きたいイエスへの問い」イエスへの問い① ー 人は死後どうなるのか?

マルコの福音書 12:18ー27

礼拝メッセージ 2015.2.8 日曜礼拝 牧師:船橋 誠


1,人は死んですべてが終わるのではなく、       (復活)します

①人は死んですべてが終わるのでも、無になるのでもありません

 サドカイ人とはダビデ・ソロモン時代に仕えた祭司ツァドクの子孫に由来すると言われ、エルサレム神殿を中心とする祭司的貴族階級のグループで、律法の見解や慣習においてパリサイ人と激しく対立していました。

 彼らは、モーセ五書以外はその権威を認めませんでした。使徒23:8「サドカイ人は、復活はなく、御使いも霊もないと言い、パリサイ人は、どちらもあると言っていた」と記されています。彼らはどちらかと言えば反超自然主義者、合理主義者であったかもしれません。
 サドカイ人たちの語ったこの例話を見れば、結婚、出産、死ということを繰り返し述べて、地上生涯において一切が完結したかのように考えていたことが想像できます。しかし、聖書は、人が死んで終わりではないことを明らかにしているのです。

②人は死後、神の臨在を経験し、主の再臨の時、復活します

 聖書は、人の死後について、詳細に記しているわけではありませんが、人が知るべき内容としては十分なことを語っています。肉体の死後、人はいくつかの段階を経るようです。第一の段階は、魂(霊)が肉体から分離して神の臨在を経験します(Ⅱコリント5:1−5,ピリピ1:23)。第二の段階は、主の再臨の時、よみがえりを経験します(Ⅰコリント15:23、Ⅰテサロニケ4:16−17)。第三の段階では新しい天と地にいつまでも住むことになります(黙示録21:1−5)。


2,人は神とのつながりのうちに        (永遠)に生きる者とされるのです

①「わたしは、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神」とはどういう意味でしょうか

 これはモーセ五書、出エジプト記に記されている、燃える柴の箇所の言葉です(出エジプト記3:6)。神がモーセと語られたとき、これらの名前の族長たちはすでにこの世にはいませんでした。しかし、その族長たちの神であると神が言われる時、彼らとなおも生きた関係を持ち続けておられることを示していると、イエスは言われたのです。

②私たちは神との生きたつながり(絆)をいつまでも持ち続けることができます

 サドカイ人の信仰の問題点をイエスは明らかにされました。それは彼らが「聖書も神の力も知らない」ということでした。宗教家であろうと祭司であろうと、信仰者を自認する人であっても、もし自分の思い込んでいることを聖書の中に読み込もうと色眼鏡をかけて見ているだけであれば、それは聖書を知ったことにはならないのです。彼らの持ちだした議論が示しているように、実生活と乖離した観念上だけの信仰は、神の力の大きさや影響を経験することができません。24節のイエスのご指摘は「あなたたちは聖書も神の力も知らないのでそのために道から迷い出ているのではないか」(詳訳聖書)ということなのです。肉体の死は、肉体と霊(魂)の分離ですが、聖書は霊の死についても語っています。それは神と私たちとの分離です。「神は死んだ者の神ではありません。生きている者の神です」とイエスが言われたことは、人間のいのちやその終わりについての関心が重要な中心ではなく、永遠の神に創造され、愛され、生かされている一人一人が、神の前に生き、人格的な交わりのうちに歩みなさいということなのです。むしろ、その永遠の神とのつながりゆえに、私たちは永遠に生きる者となるのです。