「誰もが聞きたいイエスへの問い」イエスへの問い② ー 人は何のために生きるのか?

マルコの福音書 12:28ー34

礼拝メッセージ 2015.2.15 日曜礼拝 牧師:船橋 誠


1,        (神を)愛することが私たちの第一の生きる目的です

①創造主である神を第一とすることによって愛するのです

 人生の目的は何ですかと尋ねられて、即座に答えることが出来る人はそれほど多くないでしょう。律法学者のひとりが「すべての命令の中で、どれが一番大切ですか」とイエスに言った質問は、ある意味ではそれと同じことでした。旧約聖書を持っている人たちは、そこに真理が記されていることを知っていたからです。でもたくさんある戒めの中から、どの命令を根本に置くかを聞くことは、ユダヤの人たちだけではなく、すべての人が求めている、人生の目的とは何かを知ることなのです。

 イエス・キリストは、その第一の目的のことを、当時の人たちが毎日唱えていた申命記6章の「シェマ」と呼ばれる聖書箇所から語られました。「あなたの神である主を愛せよ」と。言い換えるならば、神を第一としなさいということです。なぜ、人ではなく、神を第一にするのかと言えば、神こそ、私たち人間と、この世界の見えるもの、見えないもの、そのすべてを造られたお方だからです。
「第一が神である。神は人生の主題である。神が生きるための基礎である。もし私たちが神を第一とする考えを持たないならば、決して正しい人生を得ることはできない。…神は欄外に置かれる方でも、選択自由なオプション的存在でも、休日だけの神でもない。神は中心にも周辺にもおられ、初めであり終わりであるお方だ。神、神、神である!」(E.H.ピーターソン著「ザ・メッセージ」創世記の序論より)

②創造主である神を喜ぶことによって愛するのです

 神をどのように愛するのかは、「心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして」と言われている。「尽くして」というのは、そのすべてを用いて、という意味です。全身全霊でと表現した人もあります。私たちの経験を考えてみれば分かることですが、私たちが一生懸命になれることは、たいていそれがとてもやりがいのある、あるいは、たとい大きな労力が求められるものであっても、生き生きと取り組めるものではないでしょうか。古い信条には「人間の第一の目的は神の栄光を表すことと、神を永遠に喜ぶことである」と記されています。神の栄光を表すことと、神を喜ぶことはつながっています。神を喜ぶことによって、私たちは神の素晴らしさを証しし、そのご栄光を表していくこととなるのです。


2,        (人を)愛することが私たちの第二の生きる目的です

①「通り過ぎる」という無関心から「近寄る」という愛へ

 イエスは、レビ記19:18の「あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい」を人間の第二の生きる目的として示されました。ルカの福音書の中では、これと似た問答の時に、「良きサマリヤ人のたとえ」を語られました(ルカ10:30−37)。強盗に襲われ道に倒れていたユダヤ人を見かけた祭司もレビ人も素通りして行きました。ところが民族的に仲の良くなかったサマリヤ人が見つけ介抱し、宿屋に連れて行ったのです。マザー・テレサが「愛の反対は憎しみではなく、無関心です」と言われたことは有名ですが、まさにそのことを示しています。

②小さな親切から始まる

 人を愛するということは、容易なことではないことも確かですが、誰でもできることでもあるはずです。愛の実践とは、何か身構えて、大きな事業をしなくてはいけない訳ではありません。誰に対しても、開かれた温かい気持ちをもって、微笑みかけ、声をかけたり、祈ったりして、小さな親切などを行うところから始められることではないでしょうか。