「恐れから賛美へ」

ルカの福音書 2:8ー20

礼拝メッセージ 2015.12.20 日曜礼拝 牧師:船橋 誠


1,救い主誕生の知らせは、名も無き羊飼いたちに伝えられました

 なぜクリスマスの良き知らせは、最初に羊飼いたちに届けられたのでしょうか? 世界全体に大きな影響を及ぼすほどの大事件、この偉大な人物の誕生を知らせるのに、ふつうは国の要人や偉い人たちに知らせるでしょう。王様や大臣、その他影響力のある人たちに、最初に伝えられるのが、世のあり方だと思います。けれども、どうして羊飼いが選ばれたのでしょうか、それも名前さえも知らされていないような人たちです。しかし、神は、おそらく何かの理由をもって、他の誰でもなく、これら羊飼いたちに、神からの素晴らしいニュースを真っ先に知らせたいと願われたのです。
 第一に考えられる理由は、羊飼いは当時小さく弱い存在を象徴するような人たちであったから、ということです。ご存知のように、聖書を読むと、神は弱い者に目を留められるお方であることがわかります。
8節に彼らが「野宿で夜番をしながら羊の群れを見守っていた」と書いてあります。彼らは多くの人たちが眠り休んでいる時間に、野宿して働かなくてはいけない人たちでした。彼らの仕事は、いわゆる当直や夜間警備以上に気を緩められない務めだったのではないでしょうか。月や星々は光輝いてはいても、やはり夜の暗がりの中です。野獣や泥棒が羊の群れをいつ襲ってくるかわからない、という緊張と、そのときには戦わなくてはならないという危険やリスクを背負っていたのです。
 また2:1〜7の文脈で見れば、この時、住民登録が広く帝国領域内に、一斉に行われていました。しかし8節以降を見ると、そんなことと全く何の関係もないかのように、いつものように羊の番をしている人々の姿があります。もしかすると、この羊飼いたちは住民登録から除外されているような人々であった可能性もあります。彼らは国民の一人として数えられていない。人としての数に入れられていない、多数の人々に無視されている存在であったのかもしれません。もちろんローマ帝国の中にカウントされなくても、神の目には、天に国籍のある者として、いのちの書に名前が記されている者としてこれから数えられることになる彼らだったのです。
 第二に理由として考えられることは、羊飼いという仕事が、救い主誕生と何か霊的な(あるいは神秘的な)繋がりを持っていたからかもしれません。
 聖書を見ると「羊飼い」や「牧者」というのは、ほとんど比喩的に神と人間との関係や、神とイスラエルの民、救い主と迷える人間との姿を表すものとして描かれています。そして新約聖書において、実際の羊飼いの仕事に従事している人たちの姿が出て来るのはこのクリスマスの出来事の場面だけです。そういうところから推察すると、羊飼いたちは神と人間との関係、救い主と私たち人間との間柄を一番理解しやすい仕事に就いていたと言えるでしょう。そのような彼らに、神はこの偉大で喜びあふれる知らせを伝えられたのではないでしょうか。まことの牧者(羊飼い)である方が、きょうあなたがたのために生まれたのだ、と。またその知らせを聞く私たちひとりひとりにも、その関連性と意味がよく理解できるようにするためでもありました。
 しかも彼らにとってわかりやすい「しるし」が与えられました。その救い主キリストは「飼葉桶」に寝ておられる、というしるしです。羊飼いたちにとって「飼葉桶」は馴染みの容器だったでしょう。その飼葉桶に入れられている餌を家畜は毎日食べるのです。ご降誕された救い主は、いのちのパンとしてご自身のすべてを捧げられました。人々が十字架で死なれたこのお方を食べて(もちろんそれは信じることを意味しますが)、そのいのちを自らのうちに取り入れ、いただくためなのです。


2,救い主誕生の知らせは、羊飼いたちを行動へと駆り立てました

 この御使いの驚くべき知らせは、彼らを恐れさせ、戸惑わせて終わるものではありませんでした。むしろ、彼らを恐れから驚きへ、驚きから探求へ、探求から確信へ、確信から賛美へ、と彼らを行動へと駆り立てていきました。希望と喜びが彼らを満たし、その湧き上がる思いを彼らのうちにとどめておくことはできなかったのです。
 微妙な言葉で翻訳の中では表れてこないのですが、ルカは「〜が起こった」「〜が(こう)なった」という意味の「エゲネト」(ギノマイ)という言葉をしばしば使っています。そして多くの場合、その出来事の背後におられるお方、すなわち神が、その出来事の中に働いておられたことを示しています。例えば、この2章で例を挙げると、1節で住民登録の勅令が皇帝から出たことが起こったということ。6節でマリヤはお産のための月が満ちることが起こったということ。住民登録も、イエスがお生まれになったのも、究極的には神がそのことを起こされたということを表しています。そして2:15で羊飼いたちは互いに話し合うことが起こりました。彼らの心のなかに神が働いて「さあ、ベツレヘムへ行こう」となったことを示しています。
 クリスマスの本当の喜びは、楽しいお祝いをして心慰めるだけのものではなく、生きる力を与え、永続する喜びで満たし、この良い知らせを聞いた人たちを突き動かしていく福音の出来事、知らせなのです。
 羊飼いたちは17節「この幼子について告げられたことを知らせ」、20節「神をあがめ、賛美しながら帰って行った」と記されています。良き知らせを伝えて、賛美するというこの羊飼いたちの行動パターンは、実は、御使いのした行動と全く同じです。御使いは良き知らせ「きょうダビでの町であなたがたのために救い主がお生まれになりました。」と伝えました。そして御使いは天の大軍勢とともに大合唱しました。御使いと羊飼いが同じ行動をしたことは、この知らせを聞いたすべての人、あるいは御使いを含む神に造られたものすべて(全被造物)は、とても自然な反応として、このような応答に至ることを明らかにしています。だれもが良き知らせを伝え、賛美するのです。クリスマスはこの最も自然な応答へとあなたを動かすものなのです。