「次世代への責任」

創世記 24:1ー28

礼拝メッセージ 2019.2.17 日曜礼拝 牧師:船橋 誠


1,神の約束を次世代へ継承する

イサクとリベカの結婚物語が示すこと

 老年になったアブラハムは、息子イサクのお嫁さんになる人を探すために、信頼できる年長のしもべを遣わします。しもべは、アブラハムの親類の娘である美しい女性リベカと劇的に出会うことができ、イサクの嫁として連れて帰ります。そしてイサクはリベカとめでたく結ばれるというストーリーです。しかし、それは単に古代のある一族の婚姻に関する話ではありません。なぜなら、アブラハムは、神の人類救済のご計画のために選ばれた人であり、その子孫を通して神はご計画を進められることを決めておられたからです。アブラハムの子孫、ダビデの子孫として、私たちの救い主イエス・キリストはこの世界に現れてくださったのです。そして信仰によって義と認められ、信仰によって歩むということのルーツでもあるアブラハムは、私たちキリスト者にとって、信仰の父と呼ぶべき人です。
 そのことを踏まえてこの箇所を見れば、これは一族の跡継ぎの問題ではなく、信仰によって推進されて行く、神の国の継続と発展という未来を考えるための大切な聖書の言葉であると言えるでしょう。次の世代へ神の約束が受け継がれ、バトンタッチが確実になされることにより、神の御心がこの地上に確実に進められて行くことができます。そのために現在の私たちが責任を担い、為すべきことを行い、忠実に果たしていくことの必要を教えている話であると理解できるでしょう。

アブラハムが大切にしたかったこと

 アブラハムは最年長のしもべに息子イサクの嫁を探して、連れて来るように命じますが、そのために三つの条件を語ります。一つは、今住んでいるカナンの地にいる娘から選んではならないこと、二つ目に、アブラハムの故郷に行き、親族の中から探すようにということ、三つ目に、イサクをそこへ連れ戻すようなことをしてはならないことです(3〜7節)。なぜ、このような条件を提示したのかと言うと、それはアブラハムが神の約束に基づくご計画のことに強い思いを抱いていたからです。アブラハム自身、イサクが生まれるためには、ハガルではなく、サラとの間に生まれなければならなかったことをよく覚えていました。それに、カナンと、アブラハムの故郷にも、多くの偶像崇拝が存在し、その影響に対する懸念がありました。イサクを連れ戻ってはならないのは、アブラハムにとって、彼が進んで来た信仰の道を逆戻りをすることになりかねないと考えました。信仰の歩みにおいて、来た道を後戻りすることは、あってはならないのです。


2,神の約束を継承していくために働く

神の導きに信頼して、行動する

 アブラハムのしもべは24章でその名前さえ出て来ないのですが(15:2のエリエゼルと同一人物か不明です)、この難しいミッションを背負って、見事に果たしました。彼はらくだ十頭と良い品々を携えて、アラム・ナハライムに旅立ちました。このしもべの行動を通して、主人アブラハムの命令に対して、彼がどのように応えていったのかを見ることは、私たちが次世代への責任を果たしていくために、また神の御心を実践していくために、いくつものヒントを与えてくれます。
 第一に、しもべは神の導きを信頼して、準備し、行動しました。このしもべの行動を見ていて思うのは、彼がしっかりとした計画性を持ち、生じて来るであろうことを予見して、準備を怠らなかったということです。それは、ストラテジーと言っても良いかもしれません。10節を見ると、彼は、らくだを十頭連れて行きました。十頭というと多いように感じますが、何人かはわかりませんが従者たちをともなっていたこと(32節)や、多くの贈り物を携え(53節)、長旅の食糧や水を積むために必要であったでしょう。しかし、それだけではなく、61節を見ると、お嫁さんとその侍女たちを乗せるためにも必要だったのです。そして、この十頭すべてに水を飲ませてくれる人こそがイサクの嫁にふさわしいと、主人アブラハムの願いに合わせて考えていたのでした。

神の導きを見つめる

 第二に、しもべは絶えず神に対する祈りをもって、行動しました。祈りがこの話に出て来ることも興味深いことです。12〜14節に彼の祈りが記されていますが、非常に具体的な祈りであることがわかります。しもべがお祈りと主を礼拝する姿が繰り返し出て来るところは、だいぶ後の人ですが、エルサレムの城壁を再建したネヘミヤの祈りの姿を思い出させます。このしもべは、パウロが「絶えず祈りなさい」(Ⅰテサロニケ5:17)と書くことを知らなかった訳ですが、それに先駆けて、族長時代における祈りの人として、信仰者の良きモデルを示してくれています。
 第三に、しもべは神がどのように働いてくださるのかを、信仰の目をもって観察しました。21節に「この人は、主が自分の旅を成功させてくださったかどうかを知ろうと、黙って彼女を見つめていた。」とあります。彼は、主が今どのように働いておられるのか、信仰の目をもってその状況を黙って見守っていたのでした。
 第四に、しもべは神が最善を導いてくださったことに感謝をもって、礼拝しました。「私はひざまずき、主を礼拝し、私の主人アブラハムの神、主をほめたたえました。」(48節)、「アブラハムのしもべは、彼らのことばを聞くやいなや、地にひれ伏して主を礼拝した」(52節)と記されています。


3,神の約束に応答する次世代

 最後に注目したいのは、イサクとリベカとの関係性が示す象徴です。「イサクは夕暮れ近く、野に散歩に出かけた。彼が目を挙げて見ると、ちょうど、らくだが近づいて来ていた。リベカも目を上げ、イサクを見ると、らくだから降り、しもべに尋ねた。『野に歩いて私たちを迎えに来る、あの方はどなたですか。』。」(63〜65節)。リベカは、アブラハムと同じく、自分の故郷を出て、まだ見ぬ方と結ばれるために、信仰をもって旅に出かけたのです。イサクも、祈りつつ、待っていたのではないでしょうか。この二人の出会いと結びは、キリストと花嫁なる教会の姿をイメージさせるものとして理解されて来ました。急ぐしもべの促しに対して、 リベカはひと時も躊躇することなく、「はい、行きます」(58節)と答えたのは、信仰の決断のあり方を示すものであると言えるでしょう。