「何を語り、どう伝えるか」

コロサイ人への手紙 4:2ー6

礼拝メッセージ 2019.7.21 日曜礼拝 牧師:船橋 誠


1,たゆみなく祈りなさい(2〜4節)

祈りの勧め

 2〜6節の短い勧めのことばは、この手紙全体の結びとなるような内容です。そのあとの7節から最後にかけての記述はパウロと彼の仲間の近況を記す、言わばあとがきですので、最後にこの書を読む人たちにぜひ忘れずにいてもらいたいと願っていた寸言をパウロは記したのでした。原文ギリシア語のピリオドで区切ってまとめると、2〜4節が祈りの勧め、5節が外部の人たちに対する行動について、6節がことばの使い方についての勧め、というふうになっています。ちょうど、テサロニケ人への手紙第一「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことにおいて感謝しなさい。」(Ⅰテサロニケ5:16〜18)と同じような感じです。エペソ人への手紙では、「あらゆる祈りと願いによって、どんなときにも御霊によって祈りなさい。…また私のためにも、…祈ってください」(エペソ6:18〜19)と同じ流れで勧めのことばが書かれています。

主のご帰還ゆえに

 この4章2節で注目すべきは「たゆみなく祈りなさい」のあとに、「目を覚ましていなさい」という表現があることです。「目を覚ましている」というのは、多くの場合、イエスが再びこの世界に来られる再臨のことを想起させることばです。『ワード聖書注解』でP・T・オブライエンはこの2節を次のように訳しています。「あなたがたは主のご帰還ゆえに、目を覚まして、祈りをし続けよ」。「主のご帰還ゆえに」というのは、有力な一つの写本にはあることばですが、おそらくほとんどの写本証拠から考えると、原文には無かったと思われることばです。けれども、オブライエンはこの箇所の意図するところを明確にするために、その語句をあえて追加して訳したのだと思います。「あなたがたの心が、放蕩や深酒や生活の思い煩いで押しつぶされていて、その日が罠のように、突然あなたがたに臨むことにならないように、よく気をつけなさい。その日は、全地の表に住むすべての人に突然臨むのです。しかし、あなたがたは、必ず起こるこれらすべてのことから逃れて、人の子の前に立つことができるように、いつも目を覚まして祈っていなさい。」(ルカ21:34〜36)とイエスは言われました。「放蕩や深酒や生活の思い煩いで押しつぶされている」とは、この世を楽しんでいる人も、この世で苦しんでいる人も等しく、それぞれに「押しつぶされている」のであり、言わばこの世に埋没してしまっている状況が指摘されています。ですから「目を覚まして、祈れ」ということを別の表現で言うと、今の目に見えている世界だけを見て生きるな、ということでしょう。この世界でうまくいっていることに酔いしれることがないように、逆にこの世界でうまくいっていないことに絶望しきってしまうことのないように、ということです。

祈りの動機

 なぜなら、今見えているあり方で世界は終わるわけではないからです。キリストが再びこの世界に来られて介入し、世界は本当の終局を迎えることになります。ルカ21章で主が言われた通り、私たちはキリスト(人の子)の前に立つことになります。預言なので年数期限を示すことはできませんが、はっきり言えることはキリストが再臨される確率は100%です。したがって、祈りの動機というものは、私たちの内にある多くの願いごとを神にお伝えして、何とかそれを聞き届けて欲しいという願望実現のためのものではありません。実に私たちは祈ることによって、神と交わって御心を求め、肉の目では決して見えない神の真実とご計画とを十分に悟ることができるのです。だからパウロは「感謝をもって」、「目を覚まして」、「祈る」ことを、たゆまずにやり続けるように強く命じているのです。

働き人のために祈ろう

 そこで必要な祈りは3〜4節に書かれているように、パウロのように主の福音のために労している人たちのことを覚えて、祈ってくださいということです。宣教の働きのため、みことばのために門が開かれるように、キリストの奥義を明らかに示して十分に語れるように、という祈りがいつも必要です。今夏も、キャンプやそれぞれの夏の休暇の中で、あらゆる心の壁が取り除かれ、みことばのために門が完全に開かれて、福音がしっかりと届けられるように互いに祈ろうではありませんか。


2,知恵をもって行動しなさい(5〜6節)

外部の人たちに対して

 二番目に、パウロは祈りの勧めとともに、キリスト者以外の人々への証しのわざのために、知恵をもって行動するように勧めています。コロサイ書においての「知恵」は、すべてキリストの中に秘められているものとしての知識として理解できます(2:3)。「御子によって、御子の中に、御子のために」、すべてが存在しているのですから(1:16)。その御子によって与えられている知恵の中で、キリスト者は歩みます。キリスト者同士でも知恵をもって行動する必要がありますが、キリストに属していない外側の人たちに対して、なおさら気をつけて振る舞い、接する必要があります。「外部の人たちに対しては、機会を十分に活かし、知恵をもって行動しなさい」(5節)とある通りです。「機会を十分に活かし」という表現は、直訳すると「時を贖う」「時間を買う」となります。エペソ人への手紙5章にある「機会を十分に活かしなさい」も同じ表現です(エペソ5:16)。

塩味の効いたことばで

 知恵をもって歩むということの中で、パウロが注意を向けていることは「ことば」の使い方です。パウロはここで「塩味の効いた」という表現を使いました。聖書で「塩」の語が比喩的に用いられる時は、おもに二つの塩の役割のことを示しています。一つは、塩は味付けとして、無くてはならないものであったことです。そしてもう一つは、塩は食物の防腐剤的な役割を果たしていたことです。したがって「塩味の効いたことば」とは、この暗い味気の無い世界にあって、私たちの語ることばによってこの世界を言わばおいしくして、楽しい食卓の交わりをもたらすような味わい深いものへ、主の愛に満ちたものへと変えるということでしょう。同時に、この塩味の効いたことばによって、世にある罪の腐敗と堕落を防ぎ、保存することにもなるのです。