「舌の制御」

ヤコブの手紙 3:1ー12

礼拝メッセージ 2022.5.8 日曜礼拝 牧師:船橋 誠


1,ことばは生きる方向を定める力を持つ(1〜4節)

ことばで失敗しない人はいない

 ヤコブの手紙はこれまで、人は成熟を目指して歩む必要があること、そして成熟した人となるために備えておくべき特質について二つのことを語ってきました。1章では、成熟した完全な者は、苦難の中で耐え忍ぶ人であると語りました。そして2章では、真理を口で語るだけではなく、それを実践する人になれ、と述べて来ました。そしてさらに、この3章においては、自分の語ることばをしっかりとコントロールできる人になるように命じています。
 しかし、このことばの問題は、教えたり導いたりする立場にある人たちにとって、最も取り扱いにくい事柄です。なぜなら教師や指導者は、ことばを使ってその働きをしていきますが、ことばほど扱いの難しいものはないことを誰よりも知っているからです。そして多くの教師が認めざるを得ないことは、ことばで失敗した経験を持っているということでしょう。1〜2節の「私たち教師は、より厳しいさばきを受けます。私たちはみな、多くの点で過ちを犯すからです」とあるように、「あなたがた」とはしないで「私たち」とあえて記すことにより、エルサレム教会の牧師であり霊的な指導者であった自分をその中に含めて語っていると思われます。ヤコブは自分自身も気をつけて舌を制御せねばならない者であり、自分だけを例外として語ることはできないことをここに示すのです。

ことばは大きな力を持っている

 ヤコブは、この箇所で、ことばを「ことば」、「口」、「舌」と三通りに表現しています。この箇所全体で、気をつけるように言われていることは、ことばは小さなものに思っているかもしれないが、実は、とてつもなく大きな力を持っているということを自覚せよ、ということです。その大きな力のゆえに行いだけではなく、その発したことばによってもさばきを受けることを聖書は明らかにしています。イエスは言われました。「人は、口にするあらゆる無益なことばについて、さばきの日に申し開きをしなければなりません。あなたは自分のことばによって義とされ、また、自分のことばによって不義に定められるのです。」(マタイ12:36〜37)。
 ヤコブは様々な例となるものを取り上げて、ことばというものがどういう力を持っているのかをわかりやすく語っています。まず、この1〜4節では、「くつわ」と「舵」です。くつわは馬を、舵は船を制御し、方向づけをするものです。馬にとってのくつわ、船にとっての舵は、それぞれ本体であるものと比較すると、たいへん小さいものです。しかし、その小さなくつわや舵が、大きな馬や船をコントロールするのです。「思いどおりに動かす」(3節)、「思いどおりのところへ導く」(4節)という表現は、ギリシア語文では同じ単語です。メタゴーというこの語は、「他の場所や方向へと導く」という意味があります。つまり進んで行く方向を定め導くということです。それが、ヤコブが語ることばの持つ力であるということです。ことばは、私たち人間の生きる方向を決めてしまうほどの力を持っているのです。ことばは、神に従う方向づけを与えることもあれば、神に背かせて罪に向かわせ、滅びへと導いてしまう力があるのです。


2,ことばは建て上げもし、滅ぼしもする(5〜8節)

ことばには、世界を建て上げる力がある

 ヤコブがこの5節から8節で使った一つのイメージは、7節の「獣」、「鳥」、「這うもの」、「海の生き物」といった神がお造りになられた「動物」などの置かれている「この世界」のことでした。これらの表現は創世記に遡ります。その1章28節にこう記されています。「神は彼らを祝福された。神は彼らに仰せられた。『生めよ。増えよ。地に満ちよ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地の上を這うすべての生き物を支配せよ。』」。アダムは、そして人類は、この命令を神から受けてこの世界を正しく治めるように立てられていますが、人間の中にあるこの小さな器官「舌」をまだ制御することができていないとヤコブは語ります。
 5節から8節で、ことばのことを「舌」(ギリシア語では「グロッサ」)とヤコブは表現していますが、ここで舌という語がさらに「火」と結びつけられていることは注目に値します。教会の誕生であるペンテコステ(五旬節)の出来事の時、「炎のような舌が分かれて現れ」たことを記憶しておられる方は多いでしょう(使徒2:3)。主の十字架と復活後、エルサレムで聖霊が降られ、人々が神の御業をそれぞれの国のことばで語り出しました。ペテロの説教後には、三千人が洗礼を受けました。「炎のような舌」が人々の心を燃やし、爆発的な力で教会が誕生しました。それが初代教会の宣教の第一歩となりました。まさに舌は火であり、活力ある炎でした。

ことばには、恐ろしい破壊力がある

 しかしヤコブはここで、ことばが持つマイナスの力、ダメージのほうを強調しています。「あのように小さな火が、あのように大きな森を燃やします。…舌は私たちの諸器官の中にあってからだ全体を汚し、人生の車輪を燃やして、ゲヘナの火によって焼かれます」(5〜6節)。ことばは世界を建て上げていく力にもなると同時に、それをことごとく破壊してしまう恐ろしいものであることを教えて、その危険性を示します。「舌は火です。不義の世界です」(6節)が表しているように、ことばは、不法、悪、背きを生じさせ、人を、世界を大きく狂わせ、ダメージを与えます。私たちもことばで周りに様々な影響を与えていることに注意しましょう。「あなたがたのことばが、いつも親切で、塩味の効いたものであるようにしなさい」(コロサイ4:6)。


3,ことばは人間のうちにある真実を明らかにする(9〜12節)

 9節から12節では、ことばの問題のその根本に存在する心のあり方について、ヤコブは読者に問いかけ、迫っています。ここで使われているイメージは、水が湧き出る「泉」であり、実をならせるいちじくなどの「木」です。内側にあるもの、その本質が外側に現れて来るということです。それはごまかすことはできません。ことばはその人のうちにある真実を明らかにするものです。ヤコブは「あなたの心を見張りなさい」と言っているのです。「何を見張るよりも、あなたの心を見守れ。いのちの泉はこれから湧く」(箴言4:23)と語られたとおりです。さらに言えば、「あなたの信仰を、あなたの真実な思いを、心を刷新し、神に変えてもらいなさい」と命じているのです。ことばの出て来る根元を主に取り扱っていただき、「心を新たにすることで、自分を変えていただきなさい」とパウロも命じたとおりです(ローマ12:2)。「あなたがたに新しい心を与え、あなたがたのうちに新しい霊を与える。わたしはあなたがたのからだから石の心を取り除き、あなたがたに肉の心を与える」(エゼキエル36:26)。