「夕べの信頼の祈り」

詩篇 4:1-8

礼拝メッセージ 2022.10.30 日曜礼拝 牧師:太田真実子


1.ダビデの信頼の祈り

 詩篇3篇が「朝の歌」であるなら、4篇は「夜の歌」だと言われています。それは、8節で「平安のうちに私は身を横たえ すぐ眠りにつきます」と歌われているからです。また、3篇と4篇には、「私は横たえて眠る(3:5/4:8)」「多くの者は言っています(3:2/4:6)」「私の栄光(3:3/4:2)」など共通する言葉が見られることから、3篇と同様に、4篇もダビデの息子アブシャロムの乱の際に詠まれた詩篇ではないかと考えられています。
 ダビデは、息子アブシャロムの謀反により、逃亡生活を余儀なくされていました。しかし、「私が呼ぶとき 答えてください」と嘆願しながらも、冒頭からすでに「追い詰められたとき あなたは私を解き放ってください(1節)」と信頼の祈りをささげています。3篇で思いをいくらか吐き出しているからか、あるいは、かつてサウル王に命を狙われたとき、主の守りによって九死に一生を得たこと(Ⅰサムエル23章)を思い返しているからかもしれません。


2.空しいものを愛し、偽りを慕い求める時代

 ダビデは、命を狙われている恐怖に直面しているだけではありません。もちろん、息子アブシャロムと敵対関係になってしまった複雑さもあったと思います。しかし、それに加えて、アブシャロムの反乱に与する者が大勢いたということは、世の中がダビデの政治のあり方に飽きたり不満を抱いたりして、アブシャロムの熱量に魅力を感じ、主が立てられた王ダビデに背いていたということです。大勢の民の心が主から離れていたことがうかがえます。そして、そのような世の中を嘆くかのように、ダビデは「人の子たちよ  いつまで私の栄光を辱め 空しいものを愛し 偽りを慕い求めるのか(2節)」と嘆いています。
 「私の栄光(2節)」とは、ダビデ自身の栄光と解釈することもできるかもしれませんが、同じ言葉が使われている3章3節の文脈からは、その栄光は主なる神を指していると理解できます。ダビデはこの時、時代の移り変わりと共に民の心が罪に対して鈍感になっていく世の中の傾向に危機感を覚えていたのではないかと思います。

 主の聖徒であることの価値が見出されないような時代の中で、ダビデは「知れ。主はご自分の聖徒を特別に扱われるのだ(3節)」と語ります。そして、4−5節で主に依り頼むように訴えます。
 ダビデのこの言葉は、敵陣に対する嘆願であるだけではなく、彼の従者たちの信仰までも励ますことになったのではないでしょうか。危機的な状況にある時ほど、周囲に流されてしまいかねないからです。ダビデは、主がご自分の聖徒を必ず顧みてくださることの確信をもって、各々がよく考え、静まり、罪を犯すことがないように教えています。不安定な状況下においても依然として主を信頼するイスラエルの王ダビデの姿は、周囲の者たちの信仰を大きく励ましたのではないかと想像します。


3.安らかに住まわせてくださるお方

 多くの者が、「だれがわれわれに 良い目を見させてくれるのか(6節)」と発言するような状況でした。ご利益宗教のような歪んだ信仰心になっていたのかもしれません。また、「これまで主は何も良いことをしてくれない」と感じるような経験をしてきたのかもしれません。そのような信仰を肯定するわけではありませんが、多くの者が不安や苦難の中で、心身ともに飢え渇き、辛い思いをしていたのではないでしょうか。国内が権力争いをしている最中で、人々が安心して豊かな生活をしていたとは考えられません。ダビデの従者たちは逃亡生活に追われていたので、特にそうであったはずです。
 ダビデは人々に「主に依り頼め」と訴えるのと同時に、6節以降においては、「主よ どうか あなたの御顔の光を 私たちの上に照らしてください。」と、主に願っています。自分だけではなく、周囲の者たちにも主にある喜びを経験してほしいと願っていたことが伝わってきます。
 「穀物と新しいぶどう酒(7節)」は豊かさの象徴でもあり、心身を支え、喜ばせてくれるものです。しかし、主が下さる喜びは、豊かさによって得られる安心や楽しみよりもまさっていると言います。貧しさも豊かさも経験してきたダビデが断言しているのです。
心が乱れる原因のひとつは、貧しさであると感じることがあるかもしれません。先が見えない不安定な状況にひどく落ち込むこともあります。また、自分の心を楽しませてくれると感じるものに、時間やお金を惜しみなく注ぎこむこともあるかもしれません。そのような豊かさや安心感、楽しみは、私たちの心を一時的に満たしたとしても、すぐに飢え渇きを覚えることになります。そして、それがかえって空しさにつながることもあります。
 しかし、この詩篇の作者は、主が与えてくださる喜びをすでに経験しており、危機的状況であるにもかかわらず、すっかり安心して眠りにつこうとしています。そして、「主よ ただあなただけが やすらかに 私を住まわせてくださいます」と告白しています。詩篇の作者と主との間に、深い絆があることがうかがえます。私たちはどうでしょうか。世の中の風潮に同調したり、心を満たしてくれるものに没頭したりすることが、自分の心を楽にさせてくれると感じることもあるかもしません。しかし、それらが主にある喜びにまさることはありません。今、主以外のものを心の拠りどころとしているならば、自分のために、すぐにでも祈り求めることを始めていきたいと思います。また、ひとりでも多くの人が、主のみもとで安らかに過ごせるよう祈りたいと思います。