「主の恵みを忘れるな」

詩篇 103:1-5

礼拝メッセージ 2023.12.31 日曜礼拝 牧師:太田真実子


1.わがたましいよ 主をほめたたえよ

 2023年も最後の日を迎えました。みなさんにとって、どのような1年だったでしょうか。本日は、「わがたましいよ 主をほめたたえよ。主が良くしてくださったことを 何一つ忘れるな(103:2)」という詩篇のみことばから、この1年で主が良くしてくださったことに目を留めて、感謝をおささげする時を持ちましょう。

 「最も美しい詩篇の1つである」とも言われるこの103篇は、「ほめたたえよ」は冒頭に2回、結び(20-22節)に4回も繰り返されています。それは「祝福する」という語で、全地や会衆に対してではなく「わがたましい」に繰り返し促されていて、詩人は全人格をあげて神を賛美しようとしています。
 そのなかで、「主が良くしてくださったことを何一つ忘れるな」と言います。詩人が「忘れるな」と言う「主が良くしてくださったこと」の内容が、3〜5節のことです。「すべての咎を赦し」「すべての病を癒し」「いのちの穴から贖われ」「恵みとあわれみの冠をかぶらせ」「一生を良いもので満ち足らせ」「若さは鷲のように新しく」してくださるお方のことを“忘れるな”と言っているのです。4節の「穴」とは墓穴、つまり死を意味しています。罪、病、死、貧しさ、あらゆる面において主の愛に欠けがないことを賛美しています。


2.これまで主が良くしてくださったことに目を留める

 この一年、主はどのような楽しみや喜びを与えてくださったでしょうか。なかには、かつてないほどの痛みや苦しみを経験した方もおられるかもしれません。「主を信頼していれば、辛いことなんてひとつもない」ということはないはずです。
 聖書には、多くの苦労人が登場します。なかでも、モーセという人について見てみましょう。モーセはイスラエル人たちのリーダーとして主に選ばれて、主が約束されたカナンの地まで、民を先導していくことになります。イスラエル人たちはエジプトで奴隷生活を送っていたので、まずはそこから脱出するよう導かなくてはなりません。モーセは主に命じられたとおりに行動しましたが、「エジプトから脱出できるわけがない」と考える人々から反感を買うことになります。そして、脱出に成功して荒野での旅が始まってからは、「こんなことならエジプトにいた時のほうがまだましだった」と不満をぶつけられます。人々は、それまで経験してきた主の恵みを忘れたかのように、今直面している苦難についてモーセを攻めるわけです。モーセは、何度も仲間であるはずの同胞たちとの関係に悩まされ、頭を抱えてきたことでしょう。そしてまた、モーセ自身も、同胞たちが不満を訴えるほどに過酷な荒野での生活に苦労してきたことが想像できます。
 しかし、そのような40年間の荒野での生活を終えようとしているときにモーセの口から出てきたのは、主への感謝でした。「事実、あなたの神、主はあなたのしたすべてのことを祝福し、この広大な荒野であなたの旅を見守っていたのだ。この四十年の間、あなたの神、主はあなたとともにいて、あなたは何一つ欠けたものがなかった。」(申命記2:7)
 主は同じように、私たちの人生を見守ってくださり、すべてのことを祝福し、必要を与えてくださるお方です。「主がともにおられたので、何一つ欠けたものがなかった」と感謝をささげるには、難しい時もあるかもしれません。それでも、「主がともにいて、見守ってくださっていた」という視点で、これまでのことを振り返ってみましょう。そして、できる限りの感謝を主におささげしましょう。


3.これからの主の恵みにも期待して

 3〜5節の主への賛美は、詩人の過去の体験に基づいている部分があるのかもしれません。しかし、おそらくそれだけではなく、「主はいつもこれからも、そのようなお方である」という信仰告白がなされているのではないでしょうか。
 もちろんこの詩人は、地上での生涯をこの時点で終えているわけではありません。これからさらなる苦難を経験する可能性もあるでしょう。それにもかかわらず、確信をもって主の恵みをほめたたえています。
 私たちは、主の恵みに信頼しているでしょうか。まず、私たちはこれまで主が与えてくださった恵みを忘れないでいたいと思います。そして、その信頼関係の中で、主がこれからもともにいてくださることに力づけられて、主に信頼する者でありたいと願います。