ダニエル書 2:1-24
礼拝メッセージ 2024.6.16 日曜礼拝 牧師:船橋 誠
1,ネブカドネツァルは夢を見た
心騒がす夢
バビロニア帝国の王ネブカドネツァルは夢を見ました。彼は「そのために心が騒ぎ、眠れなかった」(1節)のです。これは単に嫌な夢を見てしまったという、王の個人的事柄に留まるものとはどうも思われないものでした。それがどんな夢だったのかは、25節以降を読むとわかります。二千五百年以上前の世界で、当時バビロニアの国は非常に富み栄えており、強大な権力を誇っていました。しかし、その帝国に挑みかかり、支配力を脅かす存在が、夢によって明らかに示されたのです。それゆえ国家の支配システムと能力を最大限使って夢に対処するようにと、王は考えました。それが2節です。「そこで王は命令を出し、呪法師、呪文師、呪術者、カルデア人を呼んで、王にその夢の意味を告げるように命じた」。「呪法師、呪文師、呪術者、カルデア人」という人々は、当時の最高の知識人であり、高度な教育と訓練を受けた人たちでした。彼らは「知者」「賢者」とされ、王の相談役やブレーンとしてお側近くで仕えていました。(注;「カルデア人」とはどこの国の人であるとか、人種を指しているのではなく、脚注に「占星術師」とあるように、そういう働きをしていた人々の当時の総称です。)
夢の内容を言い当てよ
王が不安に襲われ、苦悩していたのは、まさに国の支配者としての恐れであったと言えるでしょう。それは王国の未来についてのものだったからです。この状況でネブカドネツァルはたいへん奇妙な課題を呪法師たちに突きつけました。それは彼が見た「夢を言い当ててみよ、そのうえで夢の解釈をせよ」との要求です。王は彼の前に立つ呪法師たちに対して、「夢とその意味の両方を示せ」と命じますが、彼らは「夢の中身を教えてください。そうすれば、その意味を説明しましょう」と応じます。しかし王は「おまえたちが賢者なら、夢の内容さえもわかるはずだ」と譲りません。呪法師たちは「そんなことができる人はこの地上にだれもいない」と弁明しますが、王はそれを聞き入れませんでした。
王は彼らに言います。「おまえたちは…時をかせごうとしているのだ」(8節)と。最終的には「王は怒り、大いにたけり狂い、バビロンの知者をすべて滅ぼせ」(12節)と命じました。なぜ王は、そんな無理難題を知者たちにぶつけたのでしょうか。その動機が現代の私たちへのメッセージを含んでいると考えられます。王が見た夢はそれ以前に見たどんな夢や幻とも違っており、王を追い詰め、動揺させました。この事態は宮廷で仕える知恵者たちが、これまで蓄えてきた膨大な解釈データを照合し、適合するものを取り出すというような作業ではもはや対処できないことだったのです。
歴史を支配し、未来を知る神
古代世界において最高レベルの知識や知恵をもってしても、王国の未来を脅かすという預言的夢の解明に対して理解も対応もできず、かえって自分たちの無力無能を思い知らされたということでしょう。さらに王は、自分自身の力で専制君主の立場を得て、現在の国の状況を生み出したと思ってきたのですが、決してそうではないことに気づいたのです。自分が知らない歴史の深いところで、何かがこの自分を操作している、時代を司っている隠れた存在がある、そういう気づきがこの夢によってわかったのでしょう。そしてそれが彼をここまで不安がらせた原因となっていたのです。
これは現代においても同様です。未来に対する不安と恐れは、為政者や権力者たちだけではなく、私たち一人ひとりにもあると思います。この世界や歴史を動かしている隠れた力のような存在はあるのか、もしあるとすれば、それは何であるのか、そういう不安に対して、この社会や世ができることは、この記事の呪法師たちとよく似ています。彼らは言うでしょう。「事象を提示してください、そうすれば過去のデータと照合して今後起こることについての確率を計算しましょう」と。しかし時代状況の局面は目まぐるしく変化していくので、ネブカドネツァルが言い放ったように、それは時間を稼いでいるだけに見えてしまいます。
ダニエル書が伝えようとしていることは、世界の歴史を支配ている偉大なお方がおられ、その方がこれからの未来を知っているということです。それがダニエルたちが信じていた「天の神」(19節)です。真の神は歴史を支配する神です。未来の神です。主を信じる私たちも、神がこの世界の歴史を支配し、私たちの未来すべてを知ってくださっているということを信じて日々を歩みたいと思います。
2, ダニエルたちは知恵を求めて祈った
ダニエルの冷静な行動
王に仕えるための王室の英才教育を三年間受けたダニエルたちは、宮廷における「知者」たちの職務に加えられていたようです。13節にあるように、知者たちを処刑せよという命令は、彼らの身にも及ぶ事態となりました。この重大で絶体絶命の危機に臨んで、ダニエルは三つのことを実行しています。第一に、ダニエルは王に拝謁して、「しばらくの時を与えてくれるよう」願い出ました(16節)。危機が訪れたときに、もし可能ならば、一定の時間や猶予を求めることは必要なことです。すぐに悲観的になり絶望したり、焦って間違った決断をしないためです。深呼吸して気持ちを整えましょう。考える時間、祈る時間、相談する時間が必要です。ダニエルの冷静で落ち着いた態度は、信仰を持って生きていくための良いヒントを与えています。
第二に、ダニエルは同僚(仲間)のところへ行き、危機の事態について知らせたということです。17節「ダニエルは自分の家に帰り、自分の同僚のハナンヤ、ミシャエル、アザルヤにこのことを知らせた」。深刻な事態に見舞われた時、自分一人ですべて抱え込むのではなく、信仰の仲間とそのことを分かち合い、ともに祈ってもらうことが必要であり、それは本当に大きな力となります。「ダニエルは自分の家に帰り、自分の同僚の…」とありますが、彼の家は異教の大都市バビロンでは、唯一の教会的な場所でした。彼ら四人はそこで神を礼拝し、信仰の交わりをしていたのでしょう。
神からの「知恵」
第三に、ダニエルは祈り、神をほめたたえました。19節「そのとき、夜の幻のうちにこの秘密がダニエルに明らかにされた。ダニエルは天の神をほめたたえた」。人間的には間違いなく脱出不可能な状況でした。しかし、20節から23節のダニエルが賛美をもって告げたように、「知恵と力は神のもの」(20節)であることを悟り、確信していたダニエルは神に求め、そうして神から秘密を明らかにしてもらえたのです。大切な点は、バビロンの呪者たちも、この世もだれも知ることのできない「知恵と悟り」は、ただ神のうちにあるということです。ここで言う「知恵」とは人間が経験や探究して得られるものではなく、神から、外側から与えられるところの超越的で、歴史を洞察できるような「知恵」のことです。