テモテへの手紙 第一 3:14-16
礼拝メッセージ 2024.5.26 日曜礼拝 牧師:太田真実子
1,知っておいてほしいこと(14・15節)
パウロにとってテモテとは、伝道の旅を共にして大切に育てきた同労者であり、「信仰による、愛するわが子(1節)」でした。そんな彼をパウロがエペソの教会に派遣したのは、偽教師たちによってイエスに関する間違った教えが入り込んでいると知ったからであり、教会がしっかりと真理に立ち、秩序を取り戻すためでした。パウロは、現地にいるテモテがその使命を果たすことができるよう指示を与えるために、この手紙を送っています。14節を見ると、パウロはテモテのもとへ訪れようとしていることが分かりますが、実際にはいつテモテに会えるのか明確にはなっていなかったようです。それで、ひとまずこの手紙を通して、テモテをなんとかして助けようとしていることが伝わってきます。
ただ、“テモテへの手紙”と言っても、おそらくテモテだけが読むことを想定したものではなかったようです。個人宛の手紙ではありますが、公の書として読まれることを期待した手紙だったと考えられます。つまり、テモテがまだ未熟で無知なので、テモテを教えるために書かれたというよりは、エペソの教会におけるテモテの立場や牧会のあり方を擁護し、権威付けるために書かれたのだと考えられます。ですから、パウロはこの手紙を書いている理由について、「神の家でどのように行動すべきかを、あなたに知っておいてもらうためです(15節)」と言っていますが、この“知っておいてもらうため”(15節)というのも、“テモテ”に対する教えである以上に、“エペソの教会の兄姉に知っておいてもらうため”だったのでしょう。
「神の家でどのように行動すべきか(15節)」というのは、前述(2〜3章)の内容、つまり偽教師たちに影響された兄姉たちへの教えや、監督や長老、執事たちの任命条件(健全な人間関係を築ける人であるかどうか)等の具体的な指示のことです。パウロは偽教師たちの影響によって信仰が揺らぎ始めているエペソの兄姉たちに、一刻も早く、これらのことを知ってほしいと願っていました。
2, 神の家とは(15節)
パウロが「神の家でとるべき行動」を教えている理由は、「偽教師たちが間違った教えを広めているから」ですが、パウロは15・16節において、その積極的な理由として、イエス・キリストこそ真理であることを強調しています。
真理の柱と土台
そもそも「神の家」とは何か、それは「真理の柱と土台である、生ける神の教会のこと(15節)」だとパウロは言います。間違った教えがどれだけあふれていても、キリストこそが真理であり、その真理がある限りはそれを自分たちの都合の良いように勝手に曲げてはいけません。教会は神によって建てられたものであるからこそ、教会は言葉においても行いにおいても、その真理を証していく使命が与えられています。ここで言われている「教会」とは、エペソ教会のような特定の教会を指しているのではなく、普遍的な神の教会のことだと言えます。ですから、わたしたちも同じようにこの使命を与っています。私たちが健全に生きるべきなのは、個人的な祝福のためだけではありません。私たちはイエス・キリストのために、自分たちのあり方を顧みて、互いに愛をもって戒め合いながら歩んでまいりましょう。
生ける神の教会
「生ける神」とは、「偶像の神々は死んでいる」という意味合いを込めて用いられている表現です。当時は現代のように無神論の立場から議論することはほとんどなく、どの国にも神々が存在しているのが通常でした。しかし、聖書の神の観点に立つと、このお方こそが天地を造られた創造主であり、人によって造られた神々は初めから死んでいるも同然です。
ただ、牧会の手紙では、そのような意味に加えて「救いを与え、いのちを与える神」という意味も込められていることが分かります(4:10,6:13)。私たちの神は、今も生きておられます。そして、生きておられるだけではなく、私たちを救い、いのちを与えてくださるお方です。
キリストの賛美(16節)
パウロは、「この敬虔の奥義」はだれもが認める偉大なものであると言っています(16節)。「敬虔の奥義」とは、キリストにおいて啓示された真理のことです。それは、キリストの受肉に始まり、義なる神の子・救い主として示され、御使いたちはキリストの復活と勝利の目撃者となり、福音の宣教により諸国の民の間で宣べ伝えられ、結果として世界樹で信じられ、栄光の座に上げられたキリストについての奥義です。
この詩の引用について明確なことは分かりませんが、多くの学者たちの間では、初代教会の賛美歌集から取られたと考えられています(内容的には、Ⅰペテロ3:18-22と類似)。
当時のエペソには偽教師たちによって間違った教えがはびこっていたからこそ、キリストにある真理を強調し、生ける神の教会はその真理に立ち続ける必要がありました。今も、私たちの周りは間違った教えであふれています。それは、キリスト者もその間違いに気がつかないことがあるほどです。ですから、私たちもしっかりと真理に立ち、教会の使命を果たすことができるように、パウロのこの教えにしっかりと聞く耳を持ってみおしえに従ってまいりましょう。